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是枝裕和「そして父になる」:子どもの交換



是枝裕和は「誰も知らない」で、親に捨てられた子どもたちを描いた。親に捨てられた子どもを昔は捨て子と言った。これは子どもの立場に立った言い方だが、逆に親の立場に立って、親が子を捨てることを子捨てと言った。是枝が「そして父になる」で描いたのは、この子捨てである。

子捨てといっても、理由もなく一方的に捨てるわけではない。二組の親が、それぞれ育ててきた子どもを交換する話だ。親にとっては子どもの交換だが、交換されるほうの子どもにとって見れば、今まで育ててくれた親から捨てられることに違いはない。だからこれを子捨ての一例というには、相当の理由がある。ただ、「誰も知らない」の子どもたちのように、親に捨てられて孤児になってしまうわけではなく、今までの親に捨てられて別の大人に引き取られるという点では、純粋な子捨てとは言えないかもしれない。

こんなことになってしまったのは、この二組の親が、同じ病院で産んだ子どもを取り違えられたからだ。その事実が、子が六歳になって初めてわかる。それも病院側から一方的に告知されると言う形でだ。寝耳に水のようなこの知らせを受けた親たちは、どうしてよいかわからない。知らないままでいれば、それで済んでしまったかもしれなかったことを、あえて知らされたことで、新たな選択を迫られる。その結果彼らは、それぞれ育ててきた子どもを手放し(捨てて)、別の(自分の血のつながりのある)子どもを引き取ることを決断する。しかし、子どもというものは、取引の対象となるような品物ではない。生きた人間であるし、また感情を持った生き物である。子ども自身が、そうした事態にショックを受けるのは無論、手放す親の気持にも割り切れないものがある。この映画は、そうした割り切れなさを描いているのだが、それを見せられるものとしては、多少の違和感を感じさせられる。

子どものとり違えと言うのは、ありえないことではないし、事実そうした事例が世間をにぎわせたこともあった。だが、やはり特殊なことがらと言うべきだろう。それ故、そういう場合に親がどのような選択をしたかについて、例が多いわけではない。そうした非常に特殊な事柄を取り上げて、親子の間柄について考えて見たいというのが、是枝の意図だったようなのだが、親子関係は、別の側面からも切りこめるわけであるし、何故是枝がこういう希少な事例を取り上げたか、その意図に多少の違和感を感じるわけである。

映画は、福山雅治演じる父親の心の動きに焦点を当てる。彼は結局育ててきた子どもよりも血のつながった子どもを選ぶわけだが、その背景には二つの決断があった。一つは、親子の本当の関係とは血のつながりに立脚したものだという「常識」に捉われたこと、もう一つは育ててきた子の出来の悪さに日頃不満を持ち、その不満が血のつながりの無い事実が明らかになったことで爆発したこと、この二つだ。前者はともかく後者は、福山のエゴイズムの表れと言える。それに対して妻のほうは、これは相手方の妻も含めてだが、育ててきた子に強い愛着を感じている。出来たら育てた子と生んだ子を両方とも自分の手許におきたいと願っている。しかし最終的に選択するのは男たちだ。

子どもたちのほうは、もう六歳になって多少の分別もついており、また育ての親に強い愛着を感じている。そういうところに、親の一方的な判断で、別の人間の家にやられてしまうのは、受け入れ難いことだ。そこで彼らは彼らなりに悩み、また新しい親と名乗る大人に反抗したりする。その反抗をまともに受けた福山は、自分の選択が果たして正しかったのかどうか、煩悶する。その結果・・・というのがこの映画の筋の持って生き方だ。

結局福山は、育ててきた子どもとの和解を求めるのだが、その和解が彼らの境遇にどのような変化をもたらすのか、それは明示しない。曖昧なままに終わらせている。それ以外にやりようがなかったと是枝も感じたのだろう。

子どもの取り違えは、事故ではなく看護婦による意図的な行為だったということになっている。その理由を、貧しく不幸な看護婦が裕福で幸せそうな人間に嫉妬したからとしているが、これはちょっと説得性に欠ける。この映画が、どんな時代設定をしているかわからぬが、かりに一昔前の話だとしても、看護婦が患者への嫉妬から子どもの取り違えをわざとするというのは、不自然な設定というほかないと思う(だから福山の看護婦への怒りには迫力が伴わない)。

映画の結末が曖昧なので、「そして父になる」という題名が何をイメージしているのか、これもまたわかりづらい。そんなわかりづらさにも拘らず、この映画は結構ヒットした。



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