壺齋散人の 映画探検
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黒木和雄「竜馬暗殺」:維新史の一齣を描く



黒木和雄はドキュメンタリー映画作家として出発し、劇映画に転じてからは前衛的な作風で独自の存在感を示していたが、1974年の作品「竜馬暗殺」は商業映画作家としての出世作となったものだ。坂本龍馬の暗殺をテーマにしたこの映画は、黒木のかなり思い切った脚色で、維新史の解釈に一石を投じる形となった。

坂本龍馬の暗殺については謎の部分が多く、いまだに全貌が明らかになっておらず、真犯人も特定されていない。そういう、いわば歴史の盲点を逆手にとって、黒木は彼なりの解釈を加えて見せたものだ。黒木は、龍馬を殺したのは薩摩だと言い、その理由は薩長勢力が龍馬の政治力に脅威を感じたからだとしている。龍馬を生かしていたら、維新を遂行した薩長勢力が、龍馬によって追い落とされ、折角手にしそうな権力を失うかもしれない。そういう危惧が、大久保ら薩摩の指導者に龍馬の暗殺を決意させたというわけである。

坂本龍馬が暗殺されたのは慶應三年十一月十五日のことだが、映画はその前々日の十三日から殺されるまでの三日間における坂本龍馬と中岡慎太郎の行動に焦点を当てている。これに想像上の人物として、龍馬を付け狙う薩摩藩の下っ端と、その姉という女がからんでくる。要するに話を面白くするために、歴史上の存在がはっきりしない人間を引っ張り出しているわけだ。この試みは成功して、映画に面白さをもたらしている。

映画では、最初の部分で薩摩藩邸が出て来て、そこで大久保ら薩摩の連中が坂本龍馬を殺す計画をたてるところが映される。そこには中村半次郎も出て来て、自分の息のかかったものに、暗殺の実行を命じるのである。一方龍馬(原田芳雄)は、京都市内の旅館の土蔵に隠れている。その土蔵からは、向かい側の家の窓が見え、その窓から色気のある女(中川梨絵)が顔を出すのを見た龍馬は、その女にモーションをかける。その女のもとに弟だという男がやってくるが、この男こそ中村半次郎から龍馬殺害を命じられた下っ端(松田優作)なのである。かくて龍馬の周辺には、龍馬が惚れた女と、その弟で龍馬の命を狙う男が現れる。

これに加えてもう一人龍馬の命を狙う男が加わる。中岡慎太郎(石橋蓮司)である。中岡は龍馬の盟友としてのイメージが強いので、彼が龍馬の命を付け狙うというのは意外だが、映画では、二人は主義主張の対立から敵対関係にあるということになっている。中岡は薩長に協力して幕府を倒そうというのに対して、龍馬のほうは、維新というのは侍の権力を奪うことが目的で、薩長といえども侍であるからには協力できぬ、むしろ彼らを倒して侍とは別の権力をたてなければならないと思っている。その思いを龍馬は中岡にぶつける。お前も俺も侍ではなく町人あがりではないか、その俺たちが侍に手を貸すいわれはないといって、説得するのである。

かくして十一月十五日の夜になる。旅館の二階に席を設けた龍馬と中岡のところに、土佐藩士らが訪ねてきたりして、龍馬らは結構忙しくしているが、その合間にも中岡が龍馬に襲い掛かるのを心配した龍馬が、二人の武器を身辺から遠いところに置いて、暴発を防ごうとする。結果的にそれが仇になるわけだ。鴨鍋の材料を小僧に買いに行かせて、一段落した龍馬らが、ふと気を抜いて寛いでいるところを、何者かが旅館に押し入って来て二階に駆け上がり、油断していた龍馬らに切りかかるのだ。中岡はともかく龍馬は北辰一刀流免許皆伝の使い手である。まともに勝負したら相手を簡単に倒したであろう。だが、武器を身辺から遠ざけていたために、丸腰の状態で切り付けられ、頭を一刀のもとに切り裂かれてしまう。映画は、血を流して畳に横たわる龍馬と中岡の姿を映しだしながら終わるのである。

原田芳雄の飄々とした演技がよい。龍馬の風来坊的な雰囲気をよくだしている。一方、中岡を演じた石橋蓮司は、中岡の神経質そうな雰囲気をこれもよく出している。この映画の出来は、この二人の演技によるところが大きい。



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