壺齋散人の 映画探検
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西川美和「ゆれる」:女をめぐる兄弟の葛藤



西川美和の2006年の映画「ゆれる」は、一種の心理劇といってよいが、心理劇としては一風変わっている。普通、心理劇というのは、登場人物の不可解な心理の動きをテーマにするもので、観客はその心理の動きを自分なりにあれこれ推測するというのを醍醐味にしているが、その心理の動きの秘密のようなものは最後には明らかになる。そのことで観客は、それまで宙ぶらりんになっていた自分の疑問が解明されて、ある種のカタルシスを体験する。そのカタルシスが心理劇の眼目であって、それは劇中の不可解さの度合いが大きいのに比例して大きくなる。ところがこの映画では、不可解さが大きいだけでなく、それが最後まで解明されない。したがって観客は置き去りにされたような気持ちになって、とてもカタルシスを体験できるどころではないのだ。しかし観客の中には、それもよしとする人々も多くいるのだろう。でなければこうしたタイプの映画には拒絶反応ばかりが出てくるということになるはずだ。

この映画の主な登場人物は、二人の兄弟と一人の女である。その一人の女をめぐって、二人の兄弟が三角関係に陥る。とはいっても女が本当に好きなのは弟のほうで、兄のほうは片思いなのだ。その三人が一緒に渓流に遊びに行った際に、つり橋から女が転落して死ぬ。兄と女がそのつり橋の上で争った際に、女が転落したのだ。しかしどのようにして転落したのか。その真相を映画は語らない。そこで観客はその真相がについてあれこれ推測しなければならないのだが、実は登場人物自身にも真相がわかっていないのだ。そこで映画はややこしい事態へと、観客と兄弟をつれこむというわけだ。

弟は、実は兄が女を突き飛ばしたのだろうと思っているように映画は写し出す。一方兄のほうは、自分の手で直接突き飛ばしたわけではないが、したがって彼女が転落したのは事故なのだが、自分と彼女が吊橋の上でトラブルになったのは事実だし、自分が彼女のそばに行かなければこういうことにはならなかったはずなので、やはり責任を感じないではおれない。彼女を愛していただけに、自責の念は強いのだ。

そこで兄が警察に自首して自分が彼女の転落に責任があることを打ち明ける。そこで兄は殺人事件の被疑者となる。その弁護役を兄弟の伯父が買って出る。弟のほうは兄の有利になるように証言することを求められるし、自分でもその気になる。弟は兄と女とがトラブルになったところを見ていたらしいが、決定的なところまでは見ていないようなことになっている。そういう状態で弟は、兄を弁護する気持ちになるし、そういう立場から兄を励ましたりもする。ところが意外なことに、そんな弟の行為を兄がうるさく思い、そのことで弟のほうも兄を弁護する気を失う。挙句に女を転落させたのは兄だと証言する。

なぜそんなことになってしまうのか、映画は明白なことを語らない。登場人物にしても、自分のことがはっきりわかっているのかどうかわからない。兄が自分の潔白にこだわらず、むしろ自虐的になるのは、自分自身に対するコンプレックスからなのか、それとも女が自分を拒絶したのは弟を愛していたからだとする嫉妬心からなのか。そこがよくわからない。弟にしても、ずっと兄を弁護し、また兄の無罪を信じていたらしいのが、急に兄の有罪をもたらすような証言をするのは、いったいどのような心理からなのか。これはもっとわからない。

兄弟の心理の真相の一端をのぞかせるやり取りがひとつだけ出て来る。兄が弟に向かって、お前が俺を弁護するのは人殺しの弟になるのがいやなだけだ、本当は俺のことなどどうでもよいのだと言い、弟のほうは、そんな兄の言い分に対して冷笑で答える。つまりこの兄弟の関係は壊れてしまっていたのだということを、このやりとりで観客にわからせようとするわけだが、しかしそれによって、事件の真相が明らかになるわけでもない。

そんなわけでこの映画は、観客を不安な状態に置き去りにしたまま終わってしまうのである。

裁判の情景が面白く演出されている。特に検察官の描き方が凝っている。この検察官は坊主頭で眼光するどく、威嚇的でかつ相手の弱みに付け込むようなしゃべり方をする。その様子はあたかもやくざのようである。しゃべり方に関西弁が混じっているので、余計にそう見えるのかもしれない。もっともこの映画には、司法の問題点を考えさせようとする意図はないようなので、この検察官の描き方はあくまでも愛嬌といったところである。

題名の「ゆれる」は、兄弟とりわけ弟のほうの心のゆれをあらわしたのだろう。



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