壺齋散人の 映画探検
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西川美和「夢売るふたり」:男を使役する女



男が女を使って売春まがいのことをさせ、そのあがりで楽をすることをつつもたせなどというが、逆のケースは何と呼んだらいいか。女が男を使って、別の女を相手に売春まがいのことをさせ、それらの女が男に貢ぐ金をあてにする。そんな光景を描いたのが、西川美和の映画「夢売るふたり」だ。

この映画に出て来る男女のカップルは、初めからつつもたせのような関係にあったわけではない。彼らは夫婦で、こじんまりした料理屋をやっていた。その料理屋が火事で焼けて、ヤケクソになっていたところ、男がひょんなことから以前の常連客の女に出会い、その女を精神的に癒した見返りに金を貰う。それを知った妻は、最初は嫉妬に怒り狂うが、よく考えてみたら、夫が女にもてるのはある種の才能だ。家庭の危機にあたって、この才能を活用しない手はない。そう思った妻は、夫をけしかけて次々と女をだまし、金を貢がせようとする。夫はその妻の意向をたいして、せっせと女たちを騙し続ける、というのがこの映画のストーリーである。

これは、女が男を使役するのであるから、つつもたせというよりは、ある種のゲームと言うべきだろう。そのゲームでは、女が絶対的な優位を誇り、男は猿回しの猿さながら、女の言うままになる。これをなんといったらよいか。こんな男女関係が実際に今の日本で成立し得ているのか。もしそうだとしたら、戦慄すべきことかもしれない。

騙された女は結構な数に上る。彼女らは色々な事情から男のやさしさに飢えており、この男からの誘いかけに弱い。この男にはどうも、女が世話を焼きたくなるようなところがあるのだ。そこに付け込んだ男は、色々と嘘を言って女から金を貢がせる。そうして得た金は、男が自分で使うわけではなく、またその妻が浪費するわけでもない。その金を元手にして、新しい料理屋を手に入れたいと言うのが、彼らの望みなのだ。

こうなると、これは自分らの利害の為に他の女をだますわけだから、詐欺といってよい。しかも相手の女が結婚したい気持ちにつけこむわけだから、ある種の結婚詐欺である。男は別に、結婚を約束して女から金を得るわけではなく、女が一方的に金を与えるという関係なのだが、そこに男への女の気持、つまり男と一緒にいたいという気持ちがあって、それを男が利用しているわけだから、やはり結婚詐欺といってよいだろう。

結婚詐欺はいつまでも続かない。騙されたことに怒った女が私立探偵を雇い、その情報をもとに男を追いつめる。その結果男は、ついに刑務所入りになるのだが、この夫婦は、それで破綻したりはしない。男が刑務所から出て来ると、今度は二人でまじめに暮らし始めるのである。

こんなわけでこの映画の中の男女は、結婚詐欺というには当事者の気持が正直すぎる。つまりとことん人間をだますことを楽しんでいるわけではなく、かれらなりの必要にせまられて、ほかに方法がないから仕方なくやっているのであるし、当の男はいつも罪悪感を抱えている。その罪悪感のために、かれは自分の犯したのではない罪を引き受けて刑務所に入るのである。

この男の表情が、いかにも女の母性をくすぐるような、ある種情けないものなのだ。女の前でメソメソした顔つきをする。みえすいた言い訳をする。これは昔なら、女の腐ったとか言われたものだ。ともあれその顔を見せられると、どんな怒りも収まってしまう。その男を演じたのが阿部サダヲという俳優だが、この俳優には女をコロリといかせるような何かがある。第一阿部サダヲという名前が、例の阿部サダを連想させて愉快ではないか。

一方妻役を演じた松たか子は、現代のたくましい女性の典型的なイメージに合致しているといってよいのか。こんな女が主流になる頃の日本は、果たしてどんな国ぶりになっているか、いささか考えさせられるところだ。



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