壺齋散人の 映画探検
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西川美和の映画「すばらしき世界」:囚人の社会復帰



西川美和の2020年の映画「すばらしき世界」は、刑務所から出所してきた男の社会復帰をテーマにした作品。刑務所から出てきた人間に対して日本の世間は冷たい。だが中には親切にしてくれる人もいないではない。そういう希な善意に支えられて、すこしずつ社会に適応していく姿が描かれる。

その男を役所広司が演じている。役所広司は、今村昌平の映画「うなぎ」(1997年)でも、刑務所から出てきた男を演じていた。「うなぎ」の中の男は、妻の不倫現場を見て激昂し、おもわず妻を殺してしまったという、普通の男であった。ところが、この映画「すばらしき世界」の中の役所は、もと暴力団員で、しかも刑務所入りをたびたび繰り返し、最後は殺人罪で13年も収監されたあと、仮出所したということになってる。だから、彼を見る世間の眼は冷たい。

だが、それ以上に問題なのは、かれが異常な正義感の持ち主で、不正なことを目撃すると我慢できなくなり、不正を働いた人間をとことんやっつけてしまうことだった。どんな悪党でも、それを傷つければ犯罪になる。仮出所の身としては、ちょっとしたいざこざをおこすことは、刑務所に戻ることを意味する。そこで役所は、正義感と現実とのはざまで苦しむ、といったような内容である。

役所広司の演技が圧倒的な存在感をもって迫ってくる。このとき役所は60代半ばだったが、ずっと若く見える。しかもタフである。一応高血圧を患っていることになっているが、病気であることを感じさせない。とにかくこの映画は、役所広司の演技のうえに成り立っているといってよい。ふつうこの手の映画は、主人公の愛人役が登場するものだが、役所はそうした相方を必要としないかのように、一人で映画を取り仕切っているのである。

「すばらしき世界」というタイトルは、おそらく反語のつもりだろう。日本の今の社会が、この映画の主人公のような人間にとって「素晴らしき世界」であるわけがないのだ。もっとも中には、たとえ袖の触れ合いのようにせよ、親身になって接してくれる人もいる。そういう人のいる世界ならまんざら捨てたものでもない。もっともこの映画の中の主人公は、その世界に十分適応するだけの時間がないまま、一人孤独に死んでいくのである。



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