壺齋散人の 映画探検
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愛の流刑地:鶴橋康夫



鶴橋康夫の2007年の映画「愛の流刑地」は、渡辺淳一の同名の小説を映画化したものだ。渡辺は人気のポルノ作家だが、ただのポルノではなく、物語性を豊富に盛り込んだロマンチックなポルノで好評を博した。そのロマンチック性は時に逸脱することもあるが、この作品などはそのいい例だろう。これは、愛の絶頂を死で迎えようとする一対の男女の物語なのである。愛の流刑地とはだから、愛が連れて行く領域ということになろう。

豊川悦司演じる売れない作家と寺島しのぶ演じる三人の子持ちの主婦が不倫をする。その不倫が二人にとっては、命が燃え尽きるような激しいものだった。その挙句に女はセックスのエクスタシーの中で死にたいと望み、男はその望みをかなえてやる。こうして男が女を快楽の絶頂の中で縊り殺すことから映画は始まる。

この修羅場をまず観客に見せた後で映画は、ちょっとしらふな気持ちにもどって、女がなぜ死を選び、男がそれに答えて女を殺してやったのか、その心理的な背景とか裁判の進行とかを描いてゆく。この映画のなかの裁判の描き方はかなりだらけているが、それは欲求不満の女刑事を登場させて、彼女にこの男女、とくに寺島演じる女を羨望させていることに由来する。そんな刑事が出て来ては、折角の裁判劇がだらけるのは無理もない。

女はなぜ死を選んだか。それは知れたことである。自分の犯した不倫の罪の重さに耐えきれなくなったのだ。だいたいこの女は三人の子持ちとなっているが、そのうちの二人は男の子である。不倫をする母親は、女の子を持っているのが普通で、男の子の母親が夫以外の男と婚外性交することはあまりない。そんなこともあって、この母親は自分のしている行為に押しつぶされてしまったのだろうと思う。

それにしても、女の願いに男が答えて、彼女を性交の最中に縊り殺すということが成り立つだろうか。しかもその際彼らはいわゆる女上位の体位をとっており、男は下から手を出して女の首を絞めたということになっている。通常なら考えにくいことである。渡辺の小説にはこうした考えにくいトリックがふんだんにあるのだが、この小説の場合には、セックスの快楽を殺人行為に結びつけたために、トリックの不自然さが際立ったのだと思う。

この女が不倫をするに至った理由は、映画を見る限りでは、性的な欲求不満だとわかる。夫は仕事に没頭して妻を顧みない。その妻はまだ三十代半ばの若さで、まだまだセックスの快楽を味わいたい年なのに、夫は満足させてくれない。だから、ちょっとしたきっかけがあれば、不倫に傾いてしまうのである。

映画のなかでのセックスの描き方は実に悩殺的である。寺島が豊川の上に馬なりになって、両脚を精いっぱいひらきながら腰を激しく動かす。その様は見ていて照れ臭くなるほどだ。ポルノを正面からうたった映画よりはるかに迫力がある。

映画のなかでの裁判の描き方がだらけていると言ったが、警察による取り調べの光景にも迫力がない。警察は豊川の迫力に押され気味で、取り調べがなまぬるいという印象を与える。もっとも、人間不名誉なことをすると、こういう扱いを受けるのだという教育的な効果を幾分かは感じさせるが。

そんなわけでこの映画は、寺島と豊川が演じる濡れ場が、もっぱら観客の好奇心を煽るのみで、物語に深さはない。




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