壺齋散人の 映画探検
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蚤とり侍:鶴橋康夫



蚤とり侍は、徳川時代に実在した稼業だったという。侍が猫の蚤をとる商売をやるとみせかけて、実は男の売春をするというものだ。これは女を相手にする場合も、男を相手にする場合も、両方含まれる。そんな蚤とり侍をテーマにした映画が、2018年の鶴橋康夫の作品「蚤とり侍」だ。

越後長岡藩の江戸詰め侍だった阿部寛が、藩主の不興をかって蚤とり侍になることを命じられる。そこで観客としては、この侍が藩邸の中で蚤を取る仕事に従事するのかと思えば、そうではない。市中に蚤とり屋の看板を掲げた店に入って、そこで蚤とりの修行をするのである。店の主人(風間杜夫)とその女房(大竹しのぶ)は気のいい連中で、とくに女房のほうは阿部に色目を使う。その店には大勢の男たちがいて、阿部は彼らとともに市中にくりだす。男前の阿部には早くも客が付く。寺島しのぶである。彼女は田沼意次の女ということになっている。

阿部はさっそく寺島とちちくり遊びをするのだが、どうも早漏のようで、あっという間に果ててしまう。そこで欲求が収まらない寺島から、へたくそと罵られる。その言葉に阿部はいたく傷つくのだ。まばたきする間に終わってしまったなどといわれては、男の沽券にかかわるからだ。

意気消沈した阿部は、たまたま橋の上で一人の男(豊川悦司)と懇意になる。その男は町人風で、侍から言いがかりをつけられて弱っていたところを、阿部が助けてやったのだ。豊川はもともと旗本の子であったが、いまでは大店の養子に納まっている。その女房というのがえらいやきもち焼きで、亭主の浮気に眼を光らせている。しかし亭主は女房の目を盗んで女郎買いに余念がない。仲よくなった阿部からあの道がへたくそだと聞かされると、自分が手本になって、あの道のあの手この手を教授してくれる。しかしそのうち女房の嫉妬が爆発して、大店から追放されてしまうのだ。

一方、阿部が風間の取り計らいで住んでいる長屋には、仇討をめざす貧乏侍(斎藤工)が住んでいて、長屋の子供たちを相手に無料の塾を開いている。その斎藤は飯を食う金にもことかき、猫と残飯を争う始末だったが、そんな折に猫に噛まれたのが災いして危篤の状態に陥る。そこを阿部は、必死になって助けようと奔走した結果、腕のよい医者を連れて来て、斎藤の命は救われる。

豊川の指導よろしく、阿部のあの道の修行は効を奏し、やっと寺島を喜ばせてやれるほどに上達したのだったが、その頃に田沼が失脚して松平定信が老中になると、例の寛政の改革とやらが始まって、蚤とり稼業は厳禁、それに従事していた阿部たちは、見せしめに河原に曝し者にされる。その上で、鋸引きの刑を言い渡される。鋸引きというのは、重罪を犯したものに課せられる死刑の一種で、首を鋸で引かれるというものである。映画の中では、河原にさらされた阿部たちの首を、誰でも好きなように引いてよいことになっている。実際阿部の首を引こうとした町人がいたが、斎藤ら阿部の仲間たちによって撃退されるのだ。

こんな調子で、この映画は田沼時代の江戸を背景に、そこに生きる庶民の暮らしぶりを描いているわけだが、ひとつ腑に落ちないのは、蚤とり屋のメンバーのなかに、写楽のポーズを真似する者が出て来ることだ。写楽は寛政五年六月からわずか十か月間活躍しただけで、この映画の時代である天明年間にはまだあらわれていない。それはまあ、映画のことだからよいことにして、時代を象徴する田沼の描き方が、いまひとつわからない。田沼は欲が深いばかりか好色な人間としても描かれており、阿部の蚤とりぶりにも大いに関心を寄せているのである。それが田沼の実像に近いのかどうか、小生には判断できない。




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