壺齋散人の 映画探検
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若松孝二の映画:作品の解説と批評


若松孝二は変わった経歴を持っていて、農業高校を中退したあと職人見習いやヤクザの下働きを経験。チンピラとの喧嘩がもとで豚箱にぶちこまれたこともあるという。そんな若松がどんないきさつで映画監督になったか、面白いところだ。最初に作った映画は「甘い罠」というタイトルで、警官を殺したいという自分自身の怨念を込めたということらしい。その後は専らピンク映画、今日の言葉で言えばポルノ映画を撮り続けた。若松孝二のポルノ映画は、神代辰巳の作品と並んで、芸術性の高いポルノとして人気があった。

ポルノ映画が下火になると、若松孝二の活躍の機会はせばまった。それでも、機を見て洒落た映画を撮り続けていたが、21世紀になると俄然奮起して、まじめな映画を作るようになった。そのきっかけは2008年の作品「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」である。この作品を若松孝二は、自分の映画作りの総決算だといったが、彼の映画作りはこの作品で終わることなく、以後つかれたように優れた作品を作り続けた。「連合赤軍」を作った時、若松はすでに70歳を超えていたのだったが、老いに負けずに、次々と映画作りに励み、76歳で死ぬまでに、五本の大作を作ったのだった。

「連合赤軍」は、「実録」を標榜しているように、浅間山荘事件やリンチ殺人事件で世間を賑わした連合赤軍の行動を、淡々としたドキュメンタリータッチで描いたものだ。これは、左翼を取り上げたものだったわけだが、若松は右翼にも目をくばり、日本の右翼を代表するものとしての三島由紀夫の思想と行動をも映画で取り上げた。2012年の作品「11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち」がそれである。

若松孝二はまた、戦争で廃疾状態になった傷痍軍人の無念を描いたり(キャタピラー)、社会からつまはじきになった無法者を描いた(海燕ホテル・ブルー)。これらはいづれも娯楽性に配慮した作品だったが、前者には強い社会的な視線を感じ取ることができる。

若松孝二の遺作となったのは、「千年の愉楽」だ。これは中上健二の同名の小説を映画化したものだが、成熟した女の性をテーマにしたもので、若松がポルノ作家として培ってきたものが、有効に生かされている傑作である。この映画を作った2012年に、若松孝二は実に三本の映画を作っているのである。死に駆り立てられたわけではないだろうが、これで精が尽きたと言わんばかりに、あの世へ旅立ったのだった。

こうして見ると、若松孝二という映画作家は、性を見つめることから始め、いよいよ老境に入ってから死に拘るようになりつつも、最後には性にもどっていったというふうに言えるのではないか。ここでは、そんな若松孝二の映画について、晩年の作品を中心に、鑑賞しながら適宜解説・批評を加えたい。。


若松孝二「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程

若松孝二「キャタピラー」:軍神の性欲


若松孝二「海燕ホテル・ブルー」:豊満な女幽霊

若松孝二「11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち」

若松孝二「千年の愉楽」:中上健次の小説を映画化


壁の中の秘事:若松孝二のピンク映画

胎児が密猟する時:若松孝二のサド・ピンク映画


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