壺齋散人の 映画探検
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若松孝二「千年の愉楽」:中上健次の小説を映画化



若松孝二の2013年の映画「千年の愉楽」は、中上健次の同名の小説を映画化したものである。この小説は、紀州の新宮にある路地と呼ばれる部落を舞台に、そこで生まれて死んだ六人の若者を、オリュウノオバという産婆の目を通じて、オムニバス風に描いたものだ。映画はその若者たちのうち、半蔵、三好、達男の三人を取り上げている。半蔵は原作の冒頭で出てくるキャラクターであり、三好はその次に、また達男は最後に出てくる。その達男に振り当てられている映画の中の時間はわずか十五分ほどだが、オリュウノオバが臨終の床で回想するという映画全体の枠組みは、原作のこの達男の部分から借りたものだ。

全体の半分は半蔵に割り当てられている。半蔵は、中本の高貴で穢れた血を受け継いだものとして、若くして死ぬ運命を率先して示す。その半蔵を含めて六人の中本の血をうけた男たちは互いに全くかかわりがないと言うのが原作のコンセプトだったが、映画では、出てくる三人の中本の血を受けた若者たちが、それぞれリレーするような形でかかわりあう。半蔵が死んだ現場に三好が居合わせ、三好が首をくくった現場に達男が居合わせるといった具合だ。

半蔵が死ぬことには運命の必然があったことを、オリュウノオバはよく知っている。それを思うといつもため息が出てくるのだが、それを映画の中では、「生きる事の次に死ぬ事があるのか、死ぬ事の次に生きる事があるのか」というつぶやきのかたちで現している。これは原作どおりの演出だ。そのつぶやきを三味線のうら悲しい旋律に乗せて流す。この映画にはこの三味線の音が、基層低音のように流れ続けるのだが、これは映画だからこその演出だ。

半蔵が殺されるのは、女狂いの果てに質屋の女房の亭主に刺されたためだ。この質屋の女房は半蔵が盗みをしたいというので、どうせやるならうちに押し入りナヨといって半蔵を手引きしたところ、半蔵は女の亭主によって刺されてしまうのだ。

二人目の三好も、中本の高貴で穢れた血を受けたものとして、半蔵に劣らず女狂いに走り、挙句の果てに女の亭主ともみ合いとなり、その亭主を殺してしまう。三好は半蔵以上の色男で、どんな女もとろけてしまう。その女を三好が抱く場面を、原作では次のように表現していた。

「動いてもはずれる事のない深さまで入れて、腰をあおり、女の腰と尻に当てた手で圧しつける。女は三好の優しさに一時に昂ったように乳房に顔をつけて乳首を強く弱く腰のあおりにあわせて吸う三好の唇をもとめ、それが叶わないと知ると、三好の肩を強く吸い歯を立てようとする。三好は長く楽しみたかった。最初あんなにも小さかった女陰がゆっくり時間をかけて細かいひだのひとつひとつを圧しひろげてやると、くしゃくしゃにたたんでいた千代紙が広げられるように女陰は石くれの男根そのものが全部入ってもまだ足りないというように充血してふくれ上り、欲深になって突いてほしい、乱暴に入り込んでくるものが欲しいと駄々をこね、固いものが入り切ると身をそらして苦しみを耐えるように快楽に耐え、なお激しく腰を上下にあおると力なく果てる。女は熱を出した子供のように桃色の肌をしていた」

こういう表現は言語だけができるもので、視覚映像ではなかなか出来ない。視覚映像が出来るのは男女の性交の様子を生々しく映し出すことだけ、とばかり映画では三好と女の性交が執拗に写し出される。

殺人を犯した三好は身の置き場に窮して結局は首をくくってしまう。オリュウノオバはそれを残念だと思いながらも、これは高貴で穢れた中本の血がもたらした宿命なのだと思ってあきらめるしかないのだ。

原作の、達男が出て来る第六話は、オリュウノオバの通夜のことから始まるのだが、この映画は、死の床に臥したオリュウノオバが中本の高貴で穢れた血を受けた若者たちを回想するという形をとっている。そのオリュウノオバが死ぬのは映画の最後の場面においてだ。

ところでこの達男の話の部分のハイライトは、まだ十五歳の達男をオリュウノオバが抱き、一夜に四回も性交するところにあった。この性交はオリュウノオバの夫である礼如さんが不在のときに家の中で行われることになっていたが、映画では林の中で裸の達男を見て性欲を催したオバが達男を誘惑するという形になっている。原作では性交の現場を押さえた礼如さんがオバを罵るのであるが、映画の中では既に死んでしまっている礼如さんの遺影が、オバにそのことをほのめかすというふうに変えられている。

原作のオリュウノオバは、すでに百年も千年も生きていたことになっており、六人の若者たちの前後関係も曖昧なのであるが、映画ではオリュウノオバは通常の人間としての寿命を全うしながら死んでいくということになっている。そのオバが礼如さんと一緒に住んでいる家は、原作では新宮の神社の裏手にある小山の中腹となっていたが、映画でも海に面した小高い丘の中腹に設定されている。実際に原作どおりのロケーションなのかどうか判然としないが、雰囲気はよく出ている。

オリュウノオバを演じた寺島しのぶは、「キャタピラー」で日本の古い女を演じていたが、この映画の中では時間を超越した仙女のような雰囲気をよく醸しだしている。彼女の相手役たる三人の中本の男を演じた者たちが、いかにも美少年風なので、仙女らしさが余計に際立ったのかもしれない。なお、佐野史郎演じる礼如さんを「れいじょさん」と呼んでいるが、これは真宗の毛坊主なのだから、「れいにょさん」がいいのではないか。



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