壺齋散人の 映画探検
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黒沢清「旅のおわり世界のはじまり」:日ウズベキスタン国交記念



黒沢清の2019年の映画「旅のおわり世界のはじまり」は、日本とウズベキスタンの国交樹立25周年を記念して作られたそうだ。ウズベキスタンの自然や文化を日本人に紹介するような体裁になっている。だから、ウズベキスタンという国に対して、リスペクトの念に満ちているかというと、そうではないように見える。かえってウズベキスタンという国やそこに暮す人々への、軽蔑のようなものが伝わってくる。

日本のドキュメンタリー映画製作チームがウズベキスタンの自然や文化を日本人向けに紹介する作品を作っているという設定になっている。前田敦子演じる日本人女優が、ドキュメンテーターとなって、ウズベキスタンのさまざまな場所で日本人の興味を引きそうなものを紹介しようとする。その視点はあくまでも、いかに日本人の興味を引くかであって、ウズベキスタンの自然や文化を虚心に紹介するということではない。あくまでも商業主義の範囲のなかでの選択なのだ。その商業主義を、チームのディレクターが代表している。

チームは、人造湖に住む怪魚の撮影とか、ウズベキスタンの家庭料理の紹介とか、人間に飼われていたヤギを自然に戻してやるとか、さまざまなバラエティ的発想のシーンを取り続けるのだが、そこにはウズベキスタン人やその文化へのリスペクトは感じられず、かえってウズベキスタン的なものへの軽蔑の念が感じられる。

黒沢はなぜ、そういうような視点からこの映画を作ったのか。自分自身ウズベキスタン人と付き合って、かれらに侮蔑的な感情を抱いたがゆえか。それともウズベキスタンを見下す日本人の姿勢に批判的な感情をもったからか。この映画を見ると、日本人はウズベキスタン人に対して優越的な態度をとり、傍目には思い上がっているように見える。

この映画には、タシケントのナヴォイ劇場というのが出て来る。これは戦後シベリアに抑留された日本人が、タシケントにも駆り立てられて作ったのだそうだ。その際の日本人の勤勉振りが尊敬の念を込めて回想される。その一方でウズベキスタン人は愚図で狡猾な人間というふうに描かれているので、そこにも観客は人種差別意識を感じるのではないか。見方によってはバイアスに捕らわれたひどい映画である。

前田敦子の演技がぎこちない。彼女は日本語以外の言葉を理解せず、ウズベキスタン人とは全くコミュニケーションを取れないので、ウズベキスタン人と人間的なつながりを作れないし、かえってウズベキスタン人を恐怖するばかりである。彼女の恐怖振りをみていると、ウズベキスタンという国は危険に満ちた野蛮な国だという印象を持たされる。その前田敦子は、ウズベキスタン人の目には子どもに映る。子どもだから多少派目をはずしても大目に見てもらえるわけだ。実際彼女は、姿かたちから声にいたるまで、どう見ても中学生くらいにしか見えない。



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