壺齋散人の 映画探検
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黒沢清の映画「スパイの妻」:裏切りあう夫婦



黒沢清の2020年の映画「スパイの妻」は、戦時中の満州における日本軍の人体実験をテーマにした作品。同じような趣旨の映画に、熊井啓の「海と毒薬」がある。熊井の映画は、日本軍によって捕虜となった外国兵を、人体実験の検体にするという内容だったが、こちらは、いわゆる石井機関の蛮行がテーマである。この不都合な事実を、いまの日本人の中には認めたくないものが多いので、それを映画にすることは、かなりな反発を呼ぶのではないかと思うのだが、そこは黒沢のこと、手際よく処理して、結構な人気を集めることに成功した。ヴェネツィアでも銀獅子賞をとっている。

神戸で商会を経営する男が、甥を伴って満州に旅行する。そこで男は、関東軍による非人道的な行為を目撃してショックを受ける。関東軍は、生物兵器の開発のために、大規模な人体実感を行い、その結果満州の中国人たちは、コレラの流行に悩まされていたのだ。人体実験そのものが不法な行為であるが、それによって一般の中国人まで殺されるのは許せない。そう思った男は、証拠を用意して、国際機関に告発する決意をする。

その男の妻は、夫の決意を知って愕然とする。それは売国奴のすることだと思ったからだ。そこで彼女は、夫の企てを阻止しにかかる。夫が用意した証拠の書類を、憲兵隊に差し出すのだ。憲兵隊には、彼女を愛する男が将校としていて、その男なら彼女と夫の境遇を救ってくれるかもしれないと考えたからだ。

そんな妻を、夫はせめるどころか、なだめすかす。その挙句に一緒にアメリカに亡命しようと誘う。夫は入念な計画をたて、別々にアメリカをめざすこととなる。夫は上海経由でアメリカをめざし、妻は神戸からアメリカ行きの船に乗るのだ。しかし妻は、その船の出航直前に憲兵につかまってしまう。これは誰も知らないはずなのに、なぜ憲兵にわかったのかと聞くと、通報があったからだという。そこで妻は、夫が自分の裏切りに対して復習をしたのだとさとる。

要するに夫婦の亀裂が主要なモチーフになっているわけである。妻は自分勝手な都合から、夫を憲兵に売った。それは許されることではない。妻も、おそまきながらそのことに気づき、夫を恨むことなく、なにもかも自分の身から出たさびだと諦観するのである。やはり、どんな事態に直面しても、夫婦は一体となって行動しなければならない。そういう、いかにも日本人らしい教訓が、伝わってくるように作られている。そこがヴェネツィアのリア人には、面白く映ったのだろう。

妻は、夫に向かって、自分はスパイの妻で構わないという場面がある。妻のその言葉に対して夫は、自分はスパイではない、スパイは誰かほかの人のために働くものだが、自分は自分の信念に従って行動しているのだ、と答える。夫がそう答えた意味を、妻は最後の最後まで理解できなかったのである。結局かれらは、生きて再会することはなかった。



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