壺齋散人の 映画探検 |
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黒沢清はピンク映画の「神田川淫乱戦争」でデビューし、ピンク映画としては珍しいほどの注目を浴びた。第二作の「ドレミファ娘の血が騒ぐ」は、一応ピンク映画の要素がないわけではないが、そのジャンルに納まるほど単純なものではなかった。 黒沢清の初期の映画の筋書きには荒唐無稽さを感じさるものがあったが、その荒唐無稽さが洗練されて、やがてホラー映画へと進んでいった。黒沢清のホラー映画は、日本の伝統的な怪談を取り込んだもので、かれの映画には、幽霊が生きている人間とかかわりあうというものが多い。そうしたところが海外の映画人から注目されて、外国に招かれて映画を作ったこともある。 1997年の「CURE」は、何者かによって洗脳された人間たちが次々と陰惨な殺人事件を引き起こすというもので、それを捜査した担当刑事まで洗脳されかかるというものだ。わけのわからない無意識殺人をテーマにしている点で一応ホラー映画と言えるが、推理小説的な醍醐味もある。 1999年の「カリスマ」は、巨大な古木が人間たちを翻弄するというもので、人間の自主性の底の浅さをテーマにしたものだ。2000年の「回路」は、幽霊が大勢出て来る。そういう点では、黒澤清流ホラー映画を確立したものだと位置付けられる。この映画は海外でも評判になって、リメーク版がいくつも作られたほどだ。 2008年の「トウキョウソナタ」は、ホラー映画ではなく、社会の厳しさを描いたシリアスな作品だ。リストラで職を失い解体の危機に瀕した家族を描いている。2015年の「岸辺の旅」は幽霊が妻のもとに現われて、この世で暮らしている他の幽霊を訪ね歩くというもので、こうした発想は、幽霊と日常的に共存している日本社会ならでは生まれないと評されたものだ。 2016年の「ダゲレオタイプの女」は、フランスに招かれて作った作品で、事実上フランス映画といってよい。これも幽霊が生きている人間とかかわりあうという趣向の作品で、フランス人のオリエンタル趣味に答えるものとなった。 2017年の「散歩する侵略者」は、異星人が地球人を使役して地球の支配をねらうというもので、黒澤清がたどりついた究極のホラー映画といってよい。2020年の「スパイの妻」は、満州における日本軍の化学兵器実験をテーマにしている。その非人道性に批判的な意識を持った男と、日本人としての愛国心を優先する妻との、夫婦の葛藤を描くという、黒沢清としてはかなりリアルでシリアスな作品である。 とはいえ、「スパイの妻」のような作品は、黒沢清としては余興のようなもので、彼の映画の本流は、幽霊をフィーチャーしたホラー映画にあるといってよい。それも日本人ならでは思いつかないような、変わった雰囲気のホラー映画である。その独特の醍醐味が、世界的な評判につながったと言える。ここではそんな黒沢清の代表的な作品を取りあげ、鑑賞の上適宜解説・批評を加えたい。 黒沢清「ドレミファ娘の血は騒ぐ」:老人の痴情に応える娘 黒沢清「勝手にしやがれ!英雄計画編」:正義の味方二人組 黒沢清「CURE」:連続猟奇殺人をテーマにしたサイコ・サスペンス 黒沢清「カリスマ」:謎の樹木に翻弄される人々 黒沢明「回路」:幽霊に追い詰められる人類 黒沢清「アカルイミライ」:男同士の奇妙な友情 黒沢清「ドッペルゲンガー」:原作ではなく実体としての 黒沢清「LOFTロフト」:怖くないミイラ 黒沢清「トウキョウソナタ」:リストラで解体の危機に瀕する家族 黒沢清「リアル 完全なる首長竜の日」:SFタッチのサスペンス 黒沢清「Seventh Code」:ヴラヂヴォストークの女諜報員 黒沢清「岸辺の旅」:人間らしく振舞う亡霊たち 黒沢清「ダゲレオタイプの女」:フランスで作った怪談映画 黒沢清「散歩する侵略者」:異星人の地球攻撃 黒沢清「旅のおわり世界のはじまり」:日ウズベキズタン国交記念 黒沢清「スパイの妻」:裏切りあう夫婦 |
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