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黒沢清「回路」:幽霊に追い詰められる人類



黒沢清の2001年の映画「回路」は、日本流ホラー映画といったところだ。日本流と言うのは、怪談仕立てになっているからだ。幽霊が出て来て人々を驚かす。しかも驚かすだけではなく、次々と不可解な死に方に誘い込む。それも人類全体がやがて死滅するのではないかという瀬戸際まで人類を追いつめる、といった具合で、やや大袈裟なところが子供だましのようにも見えるが、怪談の伝統を踏まえて、一応大人でも見られるものにはなっている。

幽霊が大勢出て来るが、それは人が死んでもあの世にいけないからで、その理由は、あの世がすでに死人で満ち満ちた飽和状態になっていて、あらたな死人の魂を受け入れる余地がなくなったからだということになっている。そこで行き場を失った死人の魂が幽霊となってこの世に出て来るわけである。その彼らの魂とこの世との間に回路が出来たわけなのである。それが映画のタイトルにもなっている。

男女二人の主人公が出て来て、最初はそれぞれ別の生き方をしている。ミチという女性はフラワー会社に勤めているが、会社の同僚が次々と不可解な死に方をし、しかも幽霊となって現われて来る。その幽霊は生きている人間に向って「たすけて!」と叫ぶのだ。男の名は川島というが、かれもまたミチと同じような不可解なことに見舞われる。挙句には、恋人になったばかりの女性春江が発狂して自殺する始末。そんな彼がいきずりの形でミチと出会う。そこで場面は急展開して、日本全体が危機的状況に陥ったとアナウンスされる。二人はその危機を脱出すべく、ボートに乗って海洋に乗り出し、一隻の客船に救われるのだ。その客船は、地球で起きている災厄が終わるまで、海を漂流するつもりである。

といった具合で、怪談としては大袈裟すぎる舞台設定といわねばならぬが、現代の観客を満足させるには、これくらい大袈裟にしなければ格好がつかないかもしれない。

ミチという主人公の女性を麻生久美子が演じている。彼女はイラン映画「ハーフェズ」にチベット人として出て来る。その映画の中の彼女は、ほとんど台詞らしいものもいわず、でくの坊のようにも見えたが、この映画のなかではそれなりの存在感を示している。こちらの演技のほうが先だ。一方、黒澤映画の常連役所広司は、客船の船長として、映画の最初と最後に出て来るだけだ。

この映画はアメリカで人気を博し、リメークもされた。それもシリーズもので三作も作られたほどだ。人類の滅亡危機という大袈裟な設定が、アメリカ人の趣味にあったのだろう。



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