壺齋散人の 映画探検
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塚本晋也「野火」:大岡昇平の小説を映画化



大岡の小説「野火」を、小生は日本文学が生んだ最高傑作の一つだと思っている。テーマの重々しさから映画化には馴染みにくいと思われるのだが、市川崑が1959年にあえて映画化した。それがなかなかよくできていたので、塚本晋也が2015年に映画化した作品「野火」は、色々な面で市川のものと比較される。小生なりに批評すると、こちらのほうが大岡の意図したものに近いのではないか。

市川の作品は、極限状態におかれた人間の状況をよく描出していたといえる。大岡もそれを書きたかったのだと思う。だが大岡には、この作品を通じて軍部指導者への激しい怒りを表現したところもあったのだが、そういう部分については、市川の作品は描いていない。あくまでも、非政治的なスタンスから、人間の極限状況を描きだしていた。それに比べると塚本のこの作品には、大岡の怒りがよく表現されていると思われるのである。

その怒りは、大岡の分身たる田村一等兵が、軍の官僚組織から受ける理不尽な仕打ちの描写などにあらわれている。市川の作品では、田村一等兵が受けるひどい仕打ちは、特異な軍人による例外的な行為といった具合に描かれているが、塚本の作品では、そうした理不尽な仕打ちは帝国陸軍という組織に内在する原理にもとづくものであり、その原理は一人の人間としての兵士を徹底的に軽く見ることにある、といった強い批判意識が込められている。そこに大岡の怒りと、それを生かした塚本のこだわりを感じることができる。

戦場における日本兵たちの描き方には、市川以上にリアルな残酷さが見られる。四肢がバラバラにされた兵士とか、蛆のわいた兵士の死体などからは、ぞっとするような迫力を感じる。また、田村一等兵が爆弾でもがれた自分の肩の肉を食うところなどは、原作にも市川の映画にもない場面で、塚本特有の演出だ。その演出にも、戦争に対する塚本の強い批判意識を読み取ることが出来よう。

原作・映画を通じて最大の見どころは、永松が安田を殺して解体する場面だが、市川はこの場面をさりげなく描き、あまりグロテクスにならないように気を使っていた。それに対して塚本は、これもあまりグロテクスにならない程度に、遠回りに表現しているが、それでも殺した戦友の死体を鉈で解体するところがわかるような演出になっている。

また、米軍に向って白旗をあげ投降する日本兵が銃殺される場面があるが、それを田村一等兵が殺したはずの現地人の女が銃で撃っているということにしている。これは塚本のこだわりだろう。日本兵の現地人への虐待が、現地人によって復讐されるところを盛り込みたかったようだ。

この映画の迫力の大部分は、塚本晋也本人が主人公の田村一等兵を演じていることから生まれているのではないか。塚本演じる田村一等兵は、つねに批判的な目で状況を見ている。その目が強い光を放つのだ。ともあれこの映画は、SFタッチの荒唐無稽というべき映画を作ってきた塚本としては、ずいぶん真面目さを感じさせる作品である。



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