壺齋散人の 映画探検
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ビレ・アウグストの映画「愛の風景」:ベルイマンの伝記



1992年のスウェーデン映画「愛の風景」は、イングマール・ベルイマンがテレビドラマ向けに書いた脚本をもとに映画化されたものだ。ベルイマンはこれを、自叙伝の副産物として書いたそうだが、たしかにそう思われるフシはある。ドラマの主人公はヘンリク・ベルイマンという神学生・牧師であり、ベルイマンの実の父親も牧師だったから、おそらく自分の父親をモデルにしているのだろう。映画の中ではダグという男の子が生まれて来るが、これはベルイマンの兄だと思われる。ベルイマン自身は次男で、この映画の中ではまだ生まれてこない。

映画は、牧師を目指す青年と裕福な家庭の娘との恋を描いている。青年は、神職を目指すにしては不寛容なところがあり、母親と自分につらくあたった祖母や祖父が許せない。祖母の死に際にも立ち会わない無慈悲さをもっている。一方娘のアンナは、自意識が過剰で、なにかと支配的な態度をとろうとする。そんな二人だから、しょっちゅう衝突する。その衝突を乗り越えて、二人が心から結ばれていく過程を、映画は描くのである。

ベルイマンの脚本のことだから、スウェーデンのおおらかな自然を背景に、時間がゆっくりと流れていく。その時間のなかで、二人の愛が深まっていくというわけだが、それにしても、その愛の深まりを、三時間もかけて観客に納得させようというわけである。

二人の愛にとって障害となるのは、それぞれの自尊心の強さもさることながら、それぞれの母親が子供の配偶者を好きになれないことだ。アンナの母親は、露骨にヘンリクを侮辱するし、ヘンリクの母親もアンナを好きになれない。アンナの母親にとっては、ヘンリクは貧乏人の子どもで礼儀も知らない野蛮人に見え、ヘンリクの母親には、アンアンは世間知らずのお嬢さんに過ぎないのだ。

そんな家族環境のなかで、二人は懸命に生きていく。ヘンリクが神学校を卒業して配属されたのは、北部スウェーデン最北部の僻地の教会で、温室を改造したものだった。住居の方も、いまにも崩れそうな廃屋を修理して、だましだまし暮しているありさまだ。そんな生活にアンナはとまどうが、子どもも生まれたことだし、なんとか頑張ろうと考える。そのうち、ヘンリクには王立大教会の牧師の職が提示される。アンナとしては、ストックホルムにあるその名誉ある教会に、ヘンリクが赴くことを期待するが、ヘンリクは辺地の教会での仕事に使命感を感じて、引き続きそこに残ろうとする。

そんなかれに様々な試練が襲いかかる。地元の企業で発生した労働争議に巻き込まれたり、引き取って育てていた近所の子に手痛い仕打ちを受けたりといったことだ。その子どもは、残酷な叔父たちに引き取られそうになって、自分が牧師の家から追いだされるのは、牧師たちの小さな子どものせいだと思い込み、その子を水につけて殺そうとするのだ。それにショックをうけたアンナは、こんなところでは子供を無事に育てていけないといって、実家に帰ってしまう。

一人になったヘンリクは自分の生き方を反省する。その結果、これからはもっと寛容になって、アンナに愛されるように努力しようと決心する。また、僻地の労働争議が、社長の死で一段落したことを受け、自分の使命がある程度達成されたと考えて、王立教会に赴任する決心をする。アンナのもとを訪ねたヘンリクは、その決心を伝える。すると二人は、もういちどやり直そうと決するのである。

こんな具合で、若い男女が愛し合い、様々な試練を乗り越えながら、互いの愛を深めていく過程を描いた作品である。その愛に宗教的な背景が重なって見えるのは、ベルイマン独特の持ち味だろう。ベルイマン自身、「第七の封印」とか「冬の光」といったかなり宗教的な色彩の強い映画を作ってきた経緯がある。



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