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アレクサンダー大王:テオ・アンゲロプロス



「アレクサンダー大王」は、ギリシャ史に拘り続けたアンゲロプロスの大作だというから、これもギリシャ史に取材した作品なのか、ギリシャ史に暗い小生にはわからないし、また、この映画でアンゲロプロスが何を言いたかったのか、その意図もよくわからない。とにかく、不思議な映画である。

描かれているのは、19世紀と20世紀の変わり目。その頃のギリシャにアレクサンダー大王と称する義賊が出現して、人民を解放しようとするが、かえって人民によって殺害されてしまうという話である。そのアレクサンダーは、太古のギリシャの英雄アレクサンダーを模範として、この世の悪と戦うといった意気込みなのだが、自分自身が悪の権化となって、人民から見放され、殺されてしまうのである。その殺され方というのが、悪人に下される罰として当然だというふうに伝わってくるので、正義の物語として始まったものが、いつしか不正の物語に転じていることを思い知らされ、観客としてはいささか思い惑わされるところがある。

このアレクサンダーという義賊は、監獄から脱出した仲間を伴ない、途中イギリス人貴族数人を人質にとって、自分の故郷に久方ぶりに戻って来る。故郷では彼とその仲間を暖かく受け入れてくれるのだが、それは彼が国家権力に対立する姿勢をとっていたからだ。というのもアレクサンダー一派は、人質にとったイギリス人貴族たちを交渉材料にして、さまざまな政治的要求をしていたからだ。一方彼を迎えた故郷の村はコミュニズムの体制を確立していた。そのコミューンの指導者はみなから先生と呼ばれ、アレクサンダー大王とともに、国家権力と戦おうとする。

ところが、アレクサンダー一派は村の共産主義体制が気に入らない。ここでは女も男と平等で、しかも一人の男の占有にはならない。自分の女房と寝たいと思っても、自由に寝るわけにはいかず、共同体の許可がいるのだ。そんなわけで、アレクサンダー大王一派は、村を昔のような自由主義体制に戻そうとする。しかし村の人々は共産主義体制に慣れ親しんでいるので、彼らを思うように動かすには暴力をもって臨まざるを得ない。こうして大王一派の専制的な統治が始まり、その統治に反対するものは尽く殺されるのである。

大王一派は、反対派の村人を殺すばかりでなく、大王に共鳴して仲間に加わったイタリア人のアナーキストたちを殺し、また人質にとっていたイギリス人貴族たちも殺し、大王の娘までをも殺す。この娘は大王の血を分けた娘ではないが、愛する妻の忘れ形見でもあり、大王が深く愛していた娘だった。それを殺さざるを得なくなったのは、娘が公然と大王に盾ついたからだ。

最後には、村は政府軍によって攻撃され、大王一派はことごとく鎮圧される。その騒ぎのなかで、傷を負って倒れこんだ大王を村人たちが囲み、一斉に大王に襲い掛かって縊り殺してしまうのだ。そんな村人たちも、権力の目には国家への反逆者として映る。かれらに待ち受けている運命も明るいものとは言えない。

というわけでこの映画は、義賊を名乗る大王の上昇と没落を描いているのであるが、同時に共産主義社会の実験をも描いている。大王が没落するのは自業自得というふうに伝わって来るが、共産主義の実験の行方はどうなるのか、この映画はそこまでは語っていない。

ストーリーも奇怪だが、映画の造り方も非常に変わっている。極端な長回しで、ワンカットが異常に長い。しかもカットとカットの間が連続していない場合が多く、突然違ったシーンへ飛んだりする。だから観客はしばしばストーリーを見失ってしまう。その長いワンカットのなかには、たびたびカメラのパンによる画面の変化が挟まれるので、退屈にはならない。だいたいこの映画は208分という異様な長さなのだが、決して観客を退屈させないのである。

映画のなかのアレクサンダー大王は、つねに白馬にまたがっている。それがかれの威光の源というかのように。素顔の彼は禿げあがった頭の、うだつの上がらぬ風采をしている。そこでその素顔を思いがけず人前に曝した場合には、部下たちが人々に向って後ろを向け、つまり大王の素顔を見るなと命令するのである。

映画全体に込めたアンゲロプロスの意図はよくわからないが、ヒントとなる場面はある。村の指導者である先生が、これもアレクサンダーという名の少年を相手に講義をする場面のなかで、所有と権力の意味について語るのであるが、それが共産主義をも含めた政治のあり方を考えさせる工夫であるという風に伝わって来るのである。




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