壺齋散人の 映画探検
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ユリシーズの瞳:テオ・アンゲロイプロス



ユリシーズはギリシャ語ではオデュッセーアといって、もともとは古代ギリシャの壮大な叙事詩の題名である。ホメロスのその叙事詩は、英雄オデュッセーアの海の放浪を描いたものだが、現代のホメロスとも称されるテオ・アンゲロプロスは、1996年の映画「ユリシーズの瞳」のなかで、一人の男の陸の放浪を描く。男が放浪するのはバルカン半島諸国で、時期は1994年、ユーゴスラビアが解体して、大規模な民族紛争が勃発していた時だ。

アンゲロプロスは、ギリシャの近・現代史に題材をとった映画を作ってきたが、「シテール島への旅」以降は、近隣のバルカン諸国の現代史を描くようになり、この「ユリシーズの瞳」では、同時代におけるバルカン諸国の血なまぐさい民族間紛争をテーマにとりあげた。ギリシャ人としてのアンゲロプロスには、隣国で起こっている血なまぐさい事態に無関心であることはできなかったのだろう。

映画の主人公は、アンゲロプロスの分身と思われる中年の映画監督である。その男が久しぶりにアメリカから戻って来て、自分の作品の懐古上映をしたりするのだが、その男は、ギリシャで初めて映画を作ったというヤナキス兄弟に強い関心を抱いていて、かれらの伝記映画を作りたいと思う。それについては、彼らの作った映画のうち、幻の作品の未編集テープが三巻あるということがわかり、その行方を求めて、手がかりのありそうなところを探し回る。映画は、その三巻のテープを探し求める男の旅を描いているのである。したがって、一応はロード・ムーヴィーみたいな体裁になっているが、男が歩き回るのは戦火のなかのバルカン諸国であり、そこで民族が血で血を洗う争いが展開されているわけで、その意味では無意味な戦争を批判するという側面もある。その点では、アンゲロプロスおなじみの歴史批判映画でもあるわけだ。

映画の始まりは、ギリシャのある町にやって来た男が、自分の作品の上映をめぐって一波乱巻き起こすところを描くのだが、なぜそういう騒ぎが起こるのか、画面からはよく伝わってこない。なんだかわけが呑み込めないままに、男はタクシーでアルバニアに向い、さらにマケドニアに行く。そこの映画博物館で一人の女に出会い、その女から三巻の未編集テープ以外ならヤナキス兄弟の作品は揃っていると言われる。そこで男は女とともに列車に乗り込み、スコピエをめざすが、途中列車の検察にひっかかってしまい、警察のようなところに連行される。そこで男は死刑判決を受けたりするので、観客は一瞬面食らってしまうのだが、どうやらそれはヤナキス兄弟の立場になって、男が夢を見ているようだということがわかる。

夢の延長は、男が単身ルーマニアのブクレシュチに入りこむところにも現われる。その、おそらく夢の中で、男は母親や父親などなつかしい人々と再会し、その思い出のなかで自分が少年にもどっているところを見るのだ。少年時代のアンゲロプロスの思い出には、この映画を見る限りでは、苦い要素が色濃く含まれているようだ。こんなわけで、この映画は、現実と夢とが、それと言及されることなく、交差してゆくのである。

ブクレシュチからドイツをめざして男は船で進んでいく。その船にはレーニンの巨大な石像が積まれている。ルーマニアが社会主義体制を脱却したことを示しているのだろう。途中ブルガリアで下船し、一人の農婦と出会うが、この農夫が以前知り合った映画博物館の女と全く同じ顔なのだ。映画博物館の女とは、かれは愛を抱くことなくセックスしたのだったが、この夫を失った女にも、愛のようなものを感じたりする。

男は更にベオグラードに立ち寄り、そこで昔の友人と会う。その友人は、例の三巻の未完成テープがサラエヴォの映画博物館に保存され、そこの技師によって現像されていると聞かされる。サラエヴォは内戦の舞台になっていて、非常に危険なのだが、男はその危険を冒してサラエヴォをめざすのだ。

サラエヴォは、内戦の傷跡がなまなましかったが、男は探していた技師に出会うことができた。そしてその技師を励まして、未編集テープの現像にも成功する。しかしその成功を祝う気持ちで街へ出た所で、内戦の闘いに巻き込まれ、技師は殺されてしまうのだ。技師の娘で愛し合ったばかりの女性も一緒に殺されてしまい、男は無念の涙を流す。その涙と叫び声を映し出しながら映画は終るのである。

こういう次第で、この映画にはヒューマンタッチなところもあって、その分わかりやすい部分もあるのだが、夢が現実と交差していたり、映画の始めに出て来る昔の恋人だという女が、一人四役を演じる形で、繰り返し現れたりと、トリックめいたところもあるので、よほど気をつけていないと、映画の本筋を見失う危険がある。そういう危険を勘案しても、なかなか見るに耐える作品に仕上がっているといえよう。なにしろ三時間近い長さでも、観客を飽きさせないのだ。




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