壺齋散人の 映画探検
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エレニの旅:テオ・アンゲロプロス



テオ・アンゲロプロスの2004年の映画「エレニの旅」は、ギリシャ現代史を生きた一女性の過酷な運命を描いた作品だ。ギリシャの現代史は、戦争と内戦で彩られていたわけで、多くの不幸な人間を生んだ。この映画の主人公エレニも、そうした不幸な人間の一人だ。その不幸は、女性にとっては、自分の力ではいかんとも為しがたい運命として、彼女に襲い掛かる。それに対して彼女は、なすすべもないままに、ただ絶叫するだけなのだ。この絶叫を聞きながら映画を見終わった観客は、なんともいえない脱力感にとらわれるに違いない。とにかく、迫力あるアンゲロプロス作品のなかでも、もっとも迫力に富んだ傑作といってよいのではないか。

映画は1919年のある日に川をわたる一団の人びとを映し出すことから始まる。誰何された彼らの指導者スピロスは、自分たちはロシアのオデッサから、革命の混乱を逃れて、ギリシャに戻って来た難民だと答える。それに対して誰何する者は、川を東に行けと命令する。そこがお前たちに与えられる土地だと。かれらは、言われたままに東に行き、川のほとりに開拓村を作って住む。その中に映画の主人公エレニもいた。その時彼女はまだ三歳で、オデッサで両親を失って泣いていたところを、スピロスに拾われたのだ。スピロスには一人息子がいて、エレニは自分より二つ年上のその息子アレクシスをたよりにしていた。

画面は数年後の開拓村に一気にとぶ。エレニが船に乗って開拓村に戻って来る。彼女は、妊娠した子をどこか他の土地で生んで、スピロスの家に戻ってきたのだ。彼女の生んだ子はアレクシスの子だったが、そのことを誰もスピロスに知らせない。長い間病気で家を空けていたといつわっている。そんなエレニをスピロスは自分の妻にするつもりだ。最近もとの妻が死んだばかりで、寂しい思いをしていたのだ。かくして結婚式の儀が執り行われるが、アレクシスと愛し合っているエレニは、アレックスとともに家を飛び出す。飛び出した先でたまたま出会った男たちの一人ニコスのはからいで、彼女らはテッサロニケの劇場に赴き、そこで自分たちの暮す部屋を与えられる。これがきっかけでアレクシスとエレニは、旅芸人としての暮しを始めるようになるのだ。

それから更に数年がたったのだろう。エレニは音楽学校で学んでいる自分の双子の子どもたちを、陰から覗き見るようになる。双子は五歳か六歳くらいに成長したことになっている。しかし彼女は、子どもたちを捨てた手前、堂々と母親だと名乗れず、悶々とする。そんな折にスピロスが劇場まで追ってきて、彼女らに迫ろうとする。彼女らは劇場を脱出して、白布の丘という所に逃げる。以後彼女らは、その丘にあるらしい集落の一角で暮らすようになるのだ。

旅芸人の生活は厳しい。それでもなんとかやっているうちに、アレクシスにはチャンスが開ける。アメリカへの巡業に一緒に行かないかと誘いがかかるのだ。それを聞いたエレニは、自分が見捨てられるのではないかと恐れるが、アレクシスはアメリカで努力して生活基盤を整え、エレニと子どもたちを呼び寄せたいと言う。その言葉にエレニは慰められる。

そうこうしているうちに、第二次世界大戦が始まり、ギリシャにはファシスト政権ができる。芸人仲間たちは、ファシスト政権に対抗して人民戦線の運動に従事し、かたわら労働者の祭を開催したりする。その祭りの場にスピロスがあらわれ、ひと騒ぎした挙句に死んでしまうといった一幕もある。死んだスピロスの遺体を筏に乗せて、川沿いの村に連れ戻ったエレニたちは、近隣の人たちから石を投げられたりする。村のリーダーであるスピロスに悲しい思いをさせているエレニが憎いのだ。このあたりが映画のもっとも盛り上がっているところで、スピロスの遺体を運ぶ筏の様子とか、労働者の祭で踊る人たちの様子は、独特の風情を感じさせる。とくに腰を振りながら踊るギリシャの女たちは、まさにヘーラーの娘よろしく、色気たっぷりである。

ニコスは官憲に追われてついに殺される。その直後、アレクシスはアメリカ行きの船に一人乗りこみ、かならず呼び寄せると言い残して去る。エレニは、子供たちとともに取り残される。育ての親から子供たちを引き取ったのだ。しかし母子一緒の生活はすぐに破られる。エレニはニコスを匿ったという理由で逮捕、投獄されてしまうのだ。

かくして更に数年がたち、彼女は釈放される。その際に、アレクシスの彼女宛の手紙を手渡される。その手紙は、四年前に死んだアメリカ兵のポケットから見つかったと言うのだ。手紙は沖縄で書かれていた。アレックスは、アメリカの市民権をとるために自ら自ら軍に志願し、沖縄で従軍している最中に戦死したのだった。その手紙のなかには、沖縄は地獄だと書かれていた。

彼女はアレクシスの死に直面して大いに絶望する。しかし彼女の絶望はそれでは終わらなかった。第二次大戦が終わると、今度は内戦が始まったが、その内戦に、彼女の双子の子どもたちは、敵味方に分かれて戦ったあげくに、二人とも戦死してしまうのだ。こうして一人ぼっちになってしまった彼女は、息子たちの遺体に寄り添いながら、絶望の叫びをあげる。その叫び方がいかにも人間の深い絶望をあらわしているので、それに接したものは誰でも心を揺さぶられずにはいない。

そういうわけでこの映画には、救いというものがない。エレニは、最後のシーンで、愛する者が誰もいない、といって絶望するのだが、たしかにそれは真実をついた言葉だと思う。人間は一人では生きてはいけないものだ。

なお、この映画を見てひとつ気になったことは、雨の降る場面が非常に多いことだ。日本の梅雨を思わせるような振りぶりだ。これだけ降れば、植物もさぞ繁茂するだろうと思うのだが、実際にはギリシャははげ山が多いと言う。意外なことである。




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