壺齋散人の 映画探検
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ノー・マンズ・ランド:ボスニア内戦を描く



2001年の映画「ノー・マンズ・ランド」はボスニア紛争の一こまを描いたものだ。監督のダニス・タノビッチはボスニア人だが、スロベニア・フランス・イギリス・ドイツの俳優が参加し、資本も各国から出ているので、国際共同映画と言ってよい。

ボスニア紛争は、ユーゴスラヴィアの解体に伴って起った民族紛争で、セルビア人とボスニア人とが互いにボスニア地域での覇権を求めて戦った。戦いは泥沼の様相を呈したので、国連が介入した。この映画は、その国連の前線部隊が介入する様子をテーマにしている。

ボスニア・セルビア両軍がにらみ合う中で、ふとしたことからセルビア寄りの前線の塹壕の中で、セルビア人兵士とボスニア人兵士とが共存する羽目になる。塹壕に最初にやってきたのはボスニア人兵士で、その後に二人のセルビア人兵士がやってくる。そのうちの一人が、別のボスニア兵の死体を塹壕に運び込んできて、その体の下に地雷を仕掛ける。死体を動かすと爆発するという仕掛けだ。その後、隠れていたボスニア兵がそのセルビア兵を殺し、塹壕にはもう一人のセルビア兵とボスニア兵の二人きりになる。二人のうちライフルを持っているボスニア兵の方が優位に立つ。

そうこうしているうちに、死んだと思っていたボスニア兵が生き返る。そこで、その兵士の体の下に埋められている地雷を取り除くことが問題となる。その頃まで、ボスニア兵とセルビア兵との間に奇妙な友情が生じていて、二人が協力しあって、なんとか困難を打開しようとはかる。その方法は、国連部隊の注目を集め、その力を借りて地雷を取り除くというものだった。

彼らの目論見は成功して、国連部隊が現場に駆け付ける。ここまで事態が発展するまでに、情報が拡散して、各国のジャーナリストも取材に集まってくる。こうして、セルビア・ボスニア・国連部隊・ジャーナリストの動きが複雑に絡み合うなかで、国連部隊のドイツ人専門家が、地雷の除去にとりかかる。しかし、その作業は技術的に不可能だということがわかる。

地雷の除去作業の最中に、最初から塹壕にいた二人の間に亀裂が生じて争いになり、それがもとで二人とも死んでしまう。まずセルビア兵に怒りを覚えたボスニア兵がそのセルビア兵を銃殺し、そこをまた国連部隊の若い兵士によって銃殺されてしまうのだ。

こんなわけでそもそもの映画の主人公である二人の兵が途中でいなくなるばかりか、三人目のボスニア兵も、地雷の上にひとりとりのこされてしまう。彼にはもはや生き残る希望はない。そんなことを観客に思わせながら映画は終るのである。

こんな調子でこの映画は、戦争の無常さのようなものを訴えているように見える。ボスニア人とセルビア人は、いったんは和解したように見えても、結局は憎しみあったまま死ぬのだし、塹壕に駆け付けた国連部隊も、事態の収拾を図ることができない。それどころか、なんとか無責任に逃れようとするありさまだ。使命感に燃えているのは、一部の前線兵士だけで、組織としての国連部隊は無責任の体系だというような批判的な見方が露骨に出ている。また、セルビア人とボスニア人の対立は、どっちもどっちといった理由からで、どちらが正しいということは言えないといったシニカルな目線が浮かび上がってくるように作られている。

こんなわけでこの映画は、観客に不燃焼感のようなものを残して終わるのである。






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