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アイダよ、何処へ?スレブレニツァの虐殺




2020年のボスニア映画「アイダよ、何処へ?」は、ボスビア・ヘルツェゴビナ紛争のなかで1995年に起きたスレブレニツァの虐殺をテーマにした作品。この虐殺は、のちに国連司法機関によってジェノサイドと認定されたほどのもので、8000人以上のムスリムが、セルビア人勢力によって虐殺されたとされる。この映画は、虐殺を露骨に描いているのではなく、逃げ場を失って右往左往するムスリムたちの絶望を描いている。

ボスニア・ヘルツェゴビナは、セルビア人、ムスリム、クロアチア人の混在する土地であり、ユーゴ解体後に内戦状態になると、セルビア人勢力とムスリム勢力との間に大きな衝突が繰り返し起きた。セルビア人勢力は、ボスニア東部のセルビア国境に沿って居住しており、その地域にスルプスカ共和国を宣言して独立する動きを見せた。スルプスカ共和国の領域は、セルビア国境の北部と南部に分離しており、中部にあるスレブレニツァはムスリムが居住する地域だった。そこで、北部と南部を連結して一体的な領土を確保しようとしたスルブスカ共和国が、スレブレニツァのムスリムを排除するためにこの虐殺事件を起こしたとされる。虐殺の対象となったのは、戦闘能力を持つ男性であり、女性はムスリム居住地域へ移動させられたので、かならずしもジェノサイドの定義にはあてはまらないという指摘もある。

いずれにしても8000人を超えるムスリムの民間人が虐殺されたわけであるから、人道的に見て許せるものではない。この虐殺にかかわったスルブスカ共和国側の人物は、戦後戦争犯罪を法的に追及された。

この虐殺が起きた原因の一つとして国連の無能力があげられている。セルビア側からの迫害を恐れたスレブレニツァのムスリムが、大挙して(2万5千人ともいう)国連施設へ押し寄せて保護を求めたのであるが、その国連部隊を担当したオランダは、なすすべもなく事態を収拾できず、結果的に多くのムスリム男性の虐殺を許したと批判された。実際に、オランダでは、そのことについての法的な調査もなされたほどである。だが、オランダを責めるのは酷と言うべきであろう。オランダはたまたまその地域の国連活動を担っただけであり、国連の名において活動していたわけであるから、そのオランダの無能力は国連の無能力を物語っているに過ぎない。

この映画は、ムスリムの女性アイダの立場にたって、このいまわしい出来事を微視的に追いかけている。アイダは、国連の通訳をつとめているのだが、自分の家族(夫と二人の息子)が、国連施設に逃れてきたことで、通訳としての仕事と、家族を守りたいという気持との間で引き裂かれる。そのうち家族を守ることが最大の使命となり、なりふり構わず自分の意思を通そうとするに至る。しかしそんな努力も実らず、夫と息子たちはセルビア勢力に殺されてしまうのである。

この映画は、ボスニアのムスリムの立場から描かれており、ムスリムに対するセルビア側の凶暴な行為への非難が中心的なモチーフになっているが、同時に、セルビア側に無法を許した国連への批判意識をも強く感じさせる。

この映画は、現在進行中のウクライナ戦争にも当てはまるものを感じさせる。大規模な国際紛争に直面しては、国連はほとんど何もできないということ、また、帰属する国家が弱小だと、その国民は塗炭の苦しみを味わされるということなどである。ロシア側が、ウクライナ東部とクリミアなどの南部を連結させる目的で、その中間の要所であるマウリポリの奪取に全力をあげたところなども、スレブレニツァをめぐる攻防を思い起こさせる。



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