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ハンガリー映画「心と体と」:屠場を舞台にした男女の恋愛



2017年のハンガリー映画「心と体と エニェディ・イルディコ監督」は、屠場を舞台にした男女の恋愛映画である。屠場を舞台にしていることから、家畜の屠殺シーンが出てくるし、また血まみれの画面も出てくるので、気の弱い人は見ないほうがよい。小生もあまり得意ではないのだが、なんとか見続けることができた。それにつけても、死に臨んだ牛の諦観した表情が印象的だ。小生はかつて、東品川にある屠場に行ったことがあるが、そこには毎朝牛たちがトラックに乗せられて集まってくる。その牛たちは一様に諦観したような表情を呈していて、自分を待っている運命を達観しているように見えた。そんなことを思いだしながら、この映画を見た次第だ。

屠場を運営する会社の財務部長という初老の男と、産休要員として派遣されてきた若い女性との恋愛を描いた作品だ。男は左腕が機能せず、その分ハンディを抱えているので、行動は控えめだ。一方女は、心を病んでいるらしく、他人との間にまともなコミュニケーションがとれない。そんな二人がどういうわけか、深い恋に落ちるのである。

かれらを結びつけたきっかけは夢だった。かれらは全く同じ夢を見るのだ。夜ごと見る夢のなかで、男は牡鹿となって、女は雌鹿となる。その二頭の鹿が、かれらをそのまま表現しているのだ。そのことをかれらは無論自覚していたのではなかった。それを精神科の女医が気づかせてくれた。犯罪捜査のために従業員の精神分析を担当することになったその女医が、二人に夢の内容を問いただしたところ、かれらの見たという夢が、全く同じ内容だったのだ。これはおそらく二人が示し合わせて自分を馬鹿にしているのだろうと女医は考え、怒りをぶつけたりするのだが、当の二人は、そのことで自分たちは何らかの絆によって結ばれていると考えるようになる。そしてやがて深く愛しあうようになるというような内容だ。

設定が荒唐無稽といえば荒唐無稽だ。二人の人間が全く同じ夢を見るというのは、ふつうはあり得ないことだ。だがユングはあり得ると考えた。ユングは独特のテレパシー理論を展開し、人間はテレパシーを通じて同じ心理体験をすることがあると考えた。その考えによれば、二人の人間が同じ夢を見ることは十分にあり得る。監督のエニェディ・イルディコはユングにかぶれているのではないか。

女性の心の病とは、ある種の脅迫神経症らしいと伝わってくる。この女性は、他人との肌の触れ合いに拒絶反応を示すのだ。そのために、他人と正常なコミュニケーションがとれない。しかし一人の男を愛してしまった彼女は、なんとかその男とコミュニケーションがとれるように努力する。いろいろな困難が介在し、そのために手首を切って自殺を図ったりもするが、ついには困難を克服し、結ばれることができる、セックスさえできるようになるのだ。セックスの快楽が強かったせいか、二人はもはや同じ夢を見ることはなかった。その夢はかれらの願望をあらわしていたのであり、その願望が実現されれば、かれらを訪れる必要もなくなるからだ。

というわけで、人間の男女の肉体の交渉を、動物の屠殺された肉体を介して表現している。



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