壺齋散人の 映画探検
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黒猫・白猫:エミール・クストリッツアァ



エミール・クストリッツァの1999年の映画「黒猫・白猫」は、祝祭的なドタバタ喜劇というべき作品である。祝祭性とかドタバタ性とかは、前作「アンダーグラウンド」においても濃厚だったが、この映画のなかではそれが前面に出ている。一方、「アンダーグラウンド」が持っていた政治的なメッセージ性はそぎ落とされて、純粋な娯楽作品になっている。

祝祭性は、大勢の人々によるブラスバンドの音楽とか踊りに現われる。そうしたものは本物の祝祭である結婚式の場面に披露されるほか、何気ない場面でもめいっぱい展開されるので、映画全体が祝祭的な雰囲気に包まれている。そうした雰囲気がこの映画の命であって、筋書きの面白さにはひっぱられていない。

とはいっても、筋書きらしいものがないわけではない。もっとも全体を通して同一の筋書きが貫徹されているわけではなく、前後二つに分かれている。前半は列車強盗の話、後半は若者たちの間での恋だ。

列車強盗を企てるのは、ドナウ川に沿った町で暮らしているはぐれものの男。この男は、映画の冒頭で、ドナウ川に現われた船のロシア人に騙されるのだが、その損害を取り戻すつもりか、列車強盗を計画する。石油を運ぶ貨物列車をブルガリア国境でのっとって、それを売りさばいて巨額の金を稼ごうというのだ。その計画に必要な金を、やくざから借りて、まんまと成功しそうにはなるのだが、肝心なところで裏切りにあい、計画は頓挫してしまう、というのが前半の筋書きだ。

後半では、その男の息子が近所の娘と恋仲になる。ところが、彼の父親が金を借りたやくざ者が、自分の妹をその息子に嫁がせようとする。その妹というのは、テントウムシというあだ名で、チビでブスなのが皆に知られている。息子は嫌だと言うが、借金の型に取られた形でいかんともしがたい。一方テントウムシのほうも結婚相手の息子が気に入らない。そこで彼女は、息子と結託して結婚式場から逃げ出し、その途中で知り合ったのっぽの男と恋仲になる。それで八方めでたしめでたしとなり、映画はハッピーエンドを迎える。実際に終了のマークとして、ハッピーエンドという文字が現われるくらいなのだ。

こんなわけでこの映画は、理屈抜きに楽しめる。特にブラスバンドがかなでる、というかがなりたてる音楽がすばらしい。音色にオリエンタルな情緒が感じられるのは、セルビアならではのことか。

題名にあるとおり、黒猫と白猫が随所で登場するが、それは愛嬌のようなもので、筋書きにとってはほとんどなんらの意味も持ってはいない。




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