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アンジェイ・ワイダ「地下水道」:ワルシャワ蜂起を描く



ポーランドは、他の東欧諸国に比べて映画の質が高いと言われる。それには、アンジェイ・ワイダやロマン・ポランスキといった作家が、欧米側から高く評価されたことが働いている。アンジェイ・ワイダが1956年に作った「地下水道」は、ポーランド映画を世界に認識させた記念碑的な作品である。

「地下水道」はワルシャワ蜂起の名称で知られる、ポーランド軍の対独戦の結末を描いたものである。ワルシャワ蜂起は、1944年8月1日から10月初めにかけて起こった。ソ連赤軍の猛反撃によってドイツ軍に混乱が生じたことを背景に、ポーランド国軍が対独戦に立ちあがったものだが、その背景には複雑な事情があったと言われる。ポーランド国軍は、一方ではロンドンの亡命政権の意向を汲みながら、他方ではソ連赤軍による応援を期待していた。しかし、ロンドン政府とソ連との間には信頼のパイプがなかったと言われ、そのため、ロンドンとつながりがあったワルシャワ蜂起に対して、ソ連側は冷淡な態度を取ったと言われる。そんなこともあって、ポーランド国軍は弱体化したドイツ軍を攻略できず、かえってドイツ側に屈服させられた。その結果、一万数千人の国軍兵士と20万人前後の民間人が死亡したと言われる。

映画「地下水道」は、ワルシャワ蜂起の最終局面を描いたものである。蜂起が始まってから56日目というから、ワルシャワ蜂起が敗北に終わる直前の9月25日から翌26日にかけてのわずか二日間の出来事が描かれている。ザドラ中尉率いるポーランド国軍の中隊が、周囲をドイツ軍に囲まれて孤立し、絶体絶命の状況に陥っている。そんななかでも兵士たちは勇敢に戦うが、圧倒的な力を持つドイツ軍の前には敵ではない。次々と犠牲者が出て、中隊のメンバーは激減していく。しかし、彼らの士気は衰えることがない。

そんなところへ、斥候を通じて本体の指令が届けられる。下水道管を通って中央区に陣取る本体に合流せよというのだ。メンバーの中には、下水道管の中で鼠のようにはい回ることを嫌がる者もいるが、中隊長のザドラは、これは本部の命令だと言って部下たちを動かす。こうして、中隊メンバーが下水道管の中に潜った時、その数は27名になっていた。なお、下水道管の中には、中隊のメンバーの外に、民間人も大勢加わった。彼らはとりあえず、ドイツ軍の攻撃から身を守るために、下水道管の中に身をひそめるのだ。

下水道管の中での、中隊のメンバー一人一人の動向が追跡される。彼らは暗黒の下水道管の中で、懐中電灯の僅かな灯りを頼りに、中央区の方向へと移動して行く。その途中で、ガスにやられて倒れる者や、気が狂ってしまう者もある。ヤツェクとストクロトカは恋人同士なので、当然のことながら行動を共にする。ヤツェクは地上での戦闘の合間に右肩を撃ち抜かれ負傷している。そんなヤツェクをストクロトカがいたわるようにして連れ歩く。二人はやっと中央区に出るマンホールにたどり着くが、ヤツェクにはマンホールの梯子を上っていくだけの体力が残されていない。そこでストクロトカは、せめて新鮮な空気を吸うために、ヴィスワ川へ流れ出る下水道管の先端にヤツェクを伴っていく。彼らはやっとの思いでそこにたどり着くのだが、たどり着いた時にはヤツェクの体力は精進しつくされ、やがてその場で死んでいくのである。

この場面を見ると、下水道管の水はそのままの状態で川に流れ落ちている。ということは浄化処理を行っていないということだ。これでは、都市衛生上大きな問題があるだろうと、余計なことを考えさせられる。

一方、他のメンバーは、先程の中央区のマンホールを通じて外へ脱出する。しかし不幸なことに、脱出したその場所にはドイツ軍の兵士が待ち構えていて、その場で拘束されてしまうのだ。拘束を逃れて抵抗する者は撃ち殺される。あたりには、そうして撃ち殺された人々の死体が累々と横たわっている。

この映画の圧巻はいうまでもなく、下水道管の中での人々の振舞にある。当然のことながら、彼らは敵に対して身構えたり、或いは怯えたりする。しかし、その敵の姿は画面にはほとんど現れてこない。敵は、下水道管の中を右往左往する人々を通じて現前する。ということは、下水道管の中のこれらの人々は、実際に存在している敵ではなく、自分の中にある敵のイメージに怯えているということになる。彼らはいわば、自分の影に怯えているのだ。

人々が下水道管(地下水道)の中を逃げ回るというイメージは、ヴィクトル・ユーゴーの小説「レ・ミゼラブル」にも出て来るが、これは早くから下水道が整備されていた国でこそ形を結ぶイメージだろう。下水道はシェルターとしての機能も果たしているわけだ。翻って同時代の日本を見ると、下水道は殆ど整備されておらず、地下鉄もまだ珍しかった。もしそれらが、1944年のワルシャワ並に整備されていたら、たとえば東京大空襲の時に、大勢の日本人が助かったかもしれない。そんなことを思いながらこの映画を見るのも、意趣と言えよう。

なお、この映画がとりあげた地下水道を通じての部隊の移動は、実際にあった出来事らしい。ワルシャワ蜂起が最終的に敗北に終わるのは、この数日後のことだ。



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