壺齋散人の 映画探検
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袋小路:ロマン・ポランスキーの映画



ロマン・ポランスキーの1966年の映画「袋小路」は、イギリスに招かれて作った作品である。「水の中のナイフ」同様、閉じられた空間における人間の愛憎模様をテーマにしている。ポランスキーが閉鎖的な空間にこだわるのは、若い頃にゲットーに閉鎖された体験がトラウマになっているためかもしれない。

イギリス北部、ノーサンバーランド地方の島にある古城が舞台である。この古城のある島は、干潮の時には陸地につながっているが、満潮になると水没して孤島になるというものである。その古城に一組の若い夫婦が住んでいる。そこにギャングらしい男がやってきて、事実上古城を占拠し、夫婦を監禁状態におく。ギャングは腕を負傷し、まともに行動出来ないのだが、それでも夫婦は無抵抗のまま、言いなりになる。亭主が臆病なのだ。

そのギャング風の男には相棒がいて、直前にいかがわしい仕事を失敗し、この島まで逃げて来たということになっている。ギャングはとりあえず自分一人でこの古城にやってきて、仲間に電話をかけて救援を求める。その間に、相棒を連れて来るが、相棒はひどい怪我をしていて、やがて死んでしまう。ギャング風の男は、庭に穴を掘って相棒の死体を埋める。無論、夫婦にも手伝わせるのだ。

そうこうしているうちに、夫婦がかねて招待していた知人の一行がやってくる。夫婦にとっては事態打開のチャンスのはずだが、臆病な夫のために、そのチャンスを生かせない。そればかりか、客を怒らせて帰らせてしまうのだ。

妻は、なんとかして夫を奮い立たせ、ギャングをやっつけようとするが、臆病な夫は尻込みするばかり。しびれを切らした妻は、ギャングのすきをついてピストルを奪い、そのピストルでギャングを殺す、というような筋書きである。

ギャングと監禁された夫婦との間の心理ゲームというべきやりとりが見どころである。いくらギャングといっても、すきがないわけではなく、かれをやっつけるチャンスはいくらでもあるはずなのに、夫の臆病がかれらをみじめな境遇に釘づけにする。それを打開するのは、夫ではなく妻だというのが、つまり男ではなく女だというのが、この物語のミソである。

女は外国なまりをギャングから指摘される。すると夫がフランス人だと答える。夫にとっては、フランス女を妻にしたのは手柄のようなのである。それに対して、地元の子供は違った反応を見せる。そのフランス女に、いたずらをして折檻された際に、子どもは「フランスのバイタ」にやられたと親たちに訴えるのである。シェイクスピアがイギリス人俳優をして、ジャンヌ・ダルクのことを、「フランスのバイタ」と呼ばせていたことを想起させる。




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