壺齋散人の 映画探検 |
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ロシアの映画は、ソ連時代とソ連崩壊後にわけてみるのがよい。ソ連時代に作られた映画は、日本を含めて西側諸国にはほとんど輸出されることがなかったので、世界の映画界とは断絶していたといってよい。それでも、ソ連時代初期に作られたエイゼンシュタインの作品は、モンタージュ手法を確立した記念碑的な業績として、日本でもよく知られていた。ともあれ今日ソ連映画といわれるものは、一部の娯楽色の強いものを除いて、ほとんど世界の映画の歴史から逸脱していたといってよい。 ソ連が崩壊して西側との文化交流が盛んになると、ロシアの映画も世界の注目を浴びるようになった。とくにアンドレイ・タルコフスキーは高く評価された。タルコフスキーはソ連時代に映画監督としてデビューし、実質的な処女作「僕の村は戦場だった」は、独ソ戦をロシア人の視点から描いたものであり、ロシア人の民族感情に訴えるものがあった。だが、ソ連崩壊後は、ロシア人としてのナショナリズムの感情を棚上げにして、広く人間性に訴えるような作品を作り続けている。 ソ連崩壊後のロシアにおいて、あいかわらずソ連時代へのノスタルジーを感じさせる映画を作ったものもいる。ニキタ・ミハルコフはその代表者だ。かれは、「太陽に灼かれて」三部作で、独ソ戦におけるロシア人の勇敢な戦いぶりを民族的な誇りを込めて描いた。 ほかにも才能のある映画監督が現れて、新しい時代におけるロシア映画の存在感を世界に向かって示した。 ソ連崩壊後には、かつてソ連邦を構成していたロシア以外の諸国にも、映画作りの機運が高まった。とくにグルジアは、民族的な自負心が強く、映画においてもユニークな作品を送り出している。オタール・イオセリアーニはその代表者だ。かれはグルジアとヨーロッパを往復しながら、グルジア人の生き方に拘った作品を作った。 また、キルギスにも映画作りの機運が高まってきている。キルギスは遊牧民の国家であり、ロシア人とは全く異なった民族性を持っているので、ソ連邦を構成していた国とはいえ、ロシアとは全く違う雰囲気の映画を送り出している。 今後は、かつてソ連邦を構成した他の国々においても、映画作りが盛んになるものと思われる。 戦艦ポチョムキン(Броненосец Потёмкин):セルゲイ・エイゼンシュテイン イワン雷帝( Иван Грозный ):セルゲイ・エイゼンステイン A.タルコフスキー 僕の村は戦場だった:タルコフスキー、独ソ戦を描く アンドレイ・ルブリョフ:タルコフスキー、ロシア史を描く 惑星ソラリス:タルコフスキーのSF映画 鏡:アンドレイ・タルコフスキー ストーカー:アンドレイ・タルコフスキー ノスタルジア:アンドレイ・タルコフスキー サクリファイス:アンドレイ・タルコフスキー ローラーとバイオリン:タルコフスキーの処女作 太陽に灼かれて:ニキータ・ミハルコフ 戦火のナージャ:ニキータ・ミハルコフ 遥かなる勝利へ:ニキータ・ミハルコフ 12人の怒れる男:ニキータ・ミハルコフ 父、帰る:アンドレイ・スビャギンツェフ アンドレイ・ズビャギンツェフ「裁かれるは善人のみ」:ロシアのディストピア アンドレイ・ズビャギンツェフ「ラブレス」:ロシア人家庭の崩壊と権力の腐敗 ファウスト:アレクサンドル・ソクーロフ 太陽:ソクーロフ レニングラード大攻防1941:ヴィクトル・アリストフ 不思議惑星キン・ザ・ザ:ソ連のディストピア映画 ナイト・ウォッチ:ティムール・ベクマンベトフ T-34 レジェンド・オヴ・ウォー:アレクセイ・シドロフ グルジアの映画 汽車はふたたび故郷へ:オタール・イオセリアーニ 素敵な歌と舟はゆく:オタール・イオセリアーニ 月曜日に乾杯!:オタール・イオセリアーニ 懺悔:グルジアのディストピア映画 とうもろこしの島:グルジアのアブハズ人 みかんの丘:アブハジア紛争を描く 皆さま、ごきげんよう:オタール・イオセリアーニ ダンサー そして私たちは踊った 葡萄畑に帰ろう:エルダル・シェンゲラヤ キルギスの映画 明りを灯す人:キルギスの映画 馬を放つ:キルギスの映画 |
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