壺齋散人の 映画探検
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ヴィクトル・アリストフ「レニングラード大攻防1941」:独ソ戦最大の山場



レニングラードをめぐる攻防戦は、スターリングラードにおけるのと並んで独ソ戦最大の山場になったものである。レニングラードは、ソ連の軍需産業が集中していることと、地理的な条件からして、ドイツにとっては対ソ連戦の重要拠点と位置付けられ、独ソ戦の最初のステージから、最大の戦場となった。ドイツが、独ソ不可侵条約を破ってソ連に侵攻するのは1941年6月のことであるが、その最初の段階でレニングラードが攻撃の対象となった。ヒトラーは、レニングラードを地上から殲滅すると豪語し、大規模な軍を差し向けた。ただし多大の犠牲を払って攻略するという戦略はとらず、周囲から孤絶させて、住民を餓死させるという戦略をとったために、攻防戦は長期化し、1941年9月8日から1944年1月8日まで、実に900日にわたる長さとなった。その間にソ連側の蒙った損害は、公式発表でも67万人、一説には100万人を超える死者を出したとされる。

この映画は、レニングラードがドイツ軍によって包囲された初期の段階に焦点を当てている。それも民間人の活躍である。火薬製造を家業としていた男に、軍から依頼があった。依頼したのは、ソ連軍の指揮官ジダーノフで、かれは火薬の不足を解消しようと思って、郊外の軍事拠点から、火薬をレニングラード市内に運搬する役目を依頼する。依頼された男は、かつて一緒に火薬製造に従事していた男たちを招集して、任務にあたるのである。

映画は、男とその仲間たちによる、火薬運搬の過程を描いている。その合間に、レニングラード市民の苦境が映し出される。ドイツによって包囲されたことで、町には反撃のための火薬が不足するばかりか、あらゆるものが不足する。とくに医薬品の不足が深刻で、熱病に倒れた市民がむなしく死んでいくというシーンも映し出される。しかし、戦争の厳しさを指摘するのはそれくらいのもので、それ以外には、市民の苦しみはあまり注目されない。映画は、あくまでも、男たちの任務遂行に焦点を当てているのである。

そんなわけで、この映画を見ても、レニングラード攻防戦の全体像についてのイメージはあまり浮かんでこない。戦争中に、祖国のために命をかけて働いた勇気ある市民の活躍ぶりが、伝わってくるように作られている。その意味では、戦争を微視的に捉えた作品といってよい。

ひとつ不可解なのは、主人公の男の妻が子供を連れて避難してくるシーンを描いた場面で、その妻が他の男と不倫をしていることになっていて、その不倫相手が死んだ今も、忘れることができないでいて、夫が水に流そうと歩み寄るにかかわらず、それを拒絶することだ。その拒絶のために、男はすっかり意気阻喪して、せっかくあげた手柄も、誇る気にならないのである。ロシア男にとっては、妻の浮気は深刻な問題だったようだ。



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