壺齋散人の 映画探検
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真夏の夜の夢:シェイクスピア劇の映画化



マックス・ラインハルトとウィリアム・ディターレが共同監督した1935年の映画「真夏の夜の夢」は、シェイクスピア劇の映画化としては理想的な作品といえる。原作の雰囲気を十分に発揮しているし、それに加えてファンタジー劇に相応しいファンタスティックな雰囲気を醸し出している。原作では、ボトムとティターニアのエロティックな出会いが劇の核心をなしていたが、そうしたエロティシズムもそこそこに感じさせる。ただ、原作の妖精パックが成長した男で、したがってエロスの雰囲気を漂わせているのに対し、この映画の中の妖精パックは、声変わりしつつあるとはいえ、まだ稚い少年である。したがってパックにはエロティックな雰囲気はない。そのかわりにいたずらざかりの無鉄砲さを感じさせる。その無鉄砲さで、奇想天外でファンタスティックな話のなりゆきが展開されていくわけである。

原作では、二組の男女の恋のもつれあいがメーンプロットをなしており、それにボトムの変身物語がからむという具合になっているが、映画もそのプロット構成を踏まえている。二組の男女は、妖精パックの失敗で、もつれていた関係が一層にもつれたあげく、オベーロンの英知によって、望ましい関係に落ち着く。そのオベーロンが、妖精パックに命じてボトムをロバに変えるわけだが、それはいうことをきかない妻ティターニアに罰を加えるという目的のためだった。オベーロンは、ティターニアに惚れ薬を仕掛け、ロバに変身したボトムに夢中にさせるのだ。このロバとティターニアの異種間恋愛がこの劇の核心といえるのだが、この映画でもそのあたりは心憎いほどにうまく演出されている。

そのボトムを、ハリウッドのギャングスターとして鳴らしていたジェームズ・キャグニーが演じている。ギャングスターとしてのキャグニーは、なかなかこわもての感じだったが、この映画のなかのキャグニーは、コメディアン的な側面を垣間見せながら、軽快な演技を見せている。かれとしては出色の演技だったのではないか。

映画を見る限りでは、ボトムの恋人となるティターニアが主演女優のように受け取れるが、クレジット上は、ハーミアを演じたオリヴィア・デ・ハヴィランドが主演女優ということになっている。一方主演男優は、ハーミアの恋人ライサンダーを演じたディック・パウエルではなく、オベーロンを演じたイアン・ハンターである。そのオベーロンは、妖精パックをあやつりながらも、世界の出来事を自分の意のままに動かしているといった、堂々たる役割を見事にこなしているわけで、やはりこの劇の究極の主役といってもよいのではないか。かれは、この劇が構成する世界にあっては、神に等しい存在だからだ。

妖精たちは、神であるオベーロンと、女神というべきティターニアとにかしずきながら、森のなかを自由自在に動き回る。そのかれらの行動ぶりが、この映画にあでやかな色彩を与えている。モノクロ映画だから、その色彩は天然色ではないが、心のなかにひろがる色彩感と言ってもよい。その色彩感が、妖精たちの優雅な動きと合わせて、この映画をファンタスティックなものにしている。




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