壺齋散人の 映画探検
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リア王:シェイクスピア劇の映画化



リア王の映画化には様々なヴァージョンがあるが、オーソン・ウェルズがリア王を演じた1953年の作品が、とりあえずはもっとも原作の雰囲気を生かしたものと言ってよい。もっともこの映画は、75分という長さなので、かなり思い切ったカットを行っている。その結果、リア王に特化したメーン・プロットのみからなっており、サブプロットは、グロスター泊が目玉を繰りぬかれる場面をのぞいては、ことごとく省かれている。それでも、原作の雰囲気をほとんど損なっていないのは、映画作りのうまさもあるが、オーソン・ウェルズの演技の賜物だろう。

オーソン・ウェルズはマクベスやオセロの映画化でも活躍しており、こと映画に関しては、ローレンス・オリヴィエと並んで、シェイクスピア劇の看板俳優といってよい。日本流にいえば、千両役者といったところだ。とにかく、王としての尊大さから、娘たちにいじめられてすねるところまで、千変万化するリア王の表情を、心憎いほど鮮やかに演じ分けている。

その娘たちが、劇の終わりのほうで、三人とも死んでいくのであるが、そしてそれがこのリア王という劇の最大の見せどころなのだが、なにしろ彼女たちに固有のサブプロットがほとんど省かれているので、なぜ、どのようにして、彼女たちが死んでいったか、それが映画からはよくわからない。とりわけクローディアの場合には、映画の最後のシーンで、リア王が彼女の死体を引きずって来て、彼女の死を嘆くのであるが、その嘆きの背景が、画面からは伝わってこないのが残念である。

だから、この映画は、原作の筋書きが十分に頭に入っている観客でないと、物語の進行についていけないかもしれない。

もうひとつ欲をいえば、リア王という作品の魅力の源になっている、リア王と道化とのやりとりが、この映画では、いまひとつ迫力がない。その辺は、黒澤明のリア王もの(乱)のほうが、原作の雰囲気を十分に引き出していた。これもメーンテーマを追うに忙しくて、余計な部分を省略しようという配慮から出たものだろう。




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