壺齋散人の 映画探検 |
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高橋竹山は、津軽三味線の魅力を、日本中のみならず世界的なスケールで認めさせた功労者として知られる。竹山は、幼い頃にかかった麻疹がもとで盲目となったために、生きていく手段として津軽三味線の技術を身に着け、日本中を放浪して歩いた。その放浪の日々の生活を、自伝の形でまとめたものをもとに、新藤兼人が作った映画が「竹山ひとり旅」だ。竹山の放浪芸人としての生き方が、津軽三味線の音色に乗って語られるこの映画は、日本の古き日々の光景を思い出させてくれる。 竹山は津軽に生まれ育った。この地方では、盲目となった人々が、「ぼさま」といわれる門付芸人となって放浪する風習があったようで、竹山の母親も、息子が生きていくための手段として、この道を選ばせたということが映画からは伝わってくる。西日本などでは、盲目の人と言えば、按摩というのが主流だったと思うのだが、「ぼさま」になるというのは、この地方独特の道だったのだろう。この地方にはまた、盲目の女のためには、「いたこ」という霊媒の道が用意されており、盲目の男女が、それぞれ自活していくための道があった。映画の中では、竹山が「ぼさま」、二人目の妻が「いたこ」として描かれている。 この映画はまた、母子の深い情愛を描いているという点で、非常に感動的だ。母親(乙羽信子)は、息子の定蔵(成人後は林隆三)が盲目になったことに自責の念を感じ、生涯息子のために気遣いし続ける。息子を近所の子どものいじめから守ってやり、生きていくための手段として津軽三味線を習わせるように計ってやり、息子が成人して放浪の生活を始めると、陰に日に息子の動向を気配り、あげくには息子に嫁を迎えて一家を構えさせてやったりもする。この映画では、最初から最後まで、母親が息子に寄り添う姿が描かれている。 一方息子の方は、自分の運命を呪うことなく、それを自分に与えられた天命として「ぼさま」の放浪生活を続けるというふうに描かれている。彼のまわりには様々な人間が入れ替わり立ち代わり現れ、その中には卑劣な徒輩がいないこともないが、大方は人のよい連中である。北海道で知り合った泥棒やら、飴売りの芸人やら、旅回りの一座の女芸人など、それぞれとの間で、竹山は人間的な交流をする。それは、裸の人間同士の偽りのない触れ合いと言うふうに、見ている者には伝わってくる。 悪党も現れるが、新藤映画の中の他の悪党と同じく、この映画の中でも、卑劣な悪党は弱い女を食い物にする。相手の弱みに付け込み強姦するというのが新藤映画の悪党の一つのパターンだが、この映画の中でも、竹山の一人目の妻が門付先の家の主人から強姦される。そのことに対して、竹山はなにもなすすべがない。それがわかっているから、卑劣な男はその妻を安心して強姦することができるのだ。こんな場面を見せられると、戦前の日本の権威的な社会における、弱者蔑視の構造が見えてくるようである。 もうひとりの悪党は、竹山が二人目の妻(賠償美津子)に薦められて入った聾学校の教師だ。この男は綺麗な女生徒を妊娠させ、その始末を竹山に押し付けようとする。人の良い竹山は、その女生徒を自分の家に連れて行き、妻の力添えを借りて産ませてやるのである。こちらのほうは、いまでもよくある話だ。 映画には、竹山本人が出演している。冒頭で、津軽三味線を弾きながら、自分の半生を振り返る。昔は、麻疹で失明する者が少なからずいて、その人たちは、「ぼさま」になるよりほか道がなかった。自分も、それを当然のこととして受け入れて、「ぼさま」の道を歩んできた、という意味のことをいうのだが、そこには不満とか反抗とかいった感情は感じられない。ただただ、運命を受け入れた者の諦観のようなものが伝わってくる。 竹山を演じた林隆三は、ぼさぼさの頭で津軽三味線を弾きながら、大声をあげて歌っていたが、どうもあまり感心した歌声ではない。声の調子が上ずっている。三味線の音色は、林自身によるものではなく、玄人による吹き替えだろう。その音色には、聞くものをうっとりとさせるものがある。この映画の、ひとつの、そして最大の見どころ、聞きどころだ。 乙羽信子の母親ぶりは、実に頭が下がる。息子はいくつになっても息子だ、といわんばかりに、成人した後までも、息子を見守り続ける。二人目の妻の連れ子が熱病で死んだとき、そのいまわの場に竹山が間に合わなかったことに憤った妻が家を出ようとすると、息子を許してくれ、出て行かないでくれ、と懇願する。その姿に、母親というものの哀れさを感じる。 最後の場面は、行方をくらまして放浪に出た息子を追って、母親と妻が探し回るシーンだ。母親は目の見えない嫁の足もとを気遣って一本の杖で結ばれあって歩く。歩く道は、津軽の雪道だ。その雪の中に横たわった廃船の陰で竹山が臥せっている。竹山は、聾学校の女生徒の一件で世の中があじけなくなり、生きるのが嫌になっていたのだ。そんな竹山に向かって、母親が立ち上がれと励ます。立ち上がって三味線を弾け、それがお前の生きる道だ、といって息子を奮い立たせるのだ。 芸を磨くために放浪して歩くというのは、昔の日本ではよくあったのだと思う。溝口健二の「残菊物語」などはその一つの例で、これは歌舞伎役者の放浪を描いたものなのだが、その放浪を通じて芸に磨きがかかったというように描かれている。ドイツなどでは、放浪は職人が一人前になるための通過儀礼のようなものだった。竹山の放浪にそうした意義が認められるかどうかについては、疑問があるかもしれないが、この放浪によって、竹山の技量が上がり、そのことで彼の芸が世間に認められるようになった、とはいえそうである。 映画は、津軽じょんがら節の歌い手成田雲竹との出会いの所で終わる。雲竹は、竹山の名声を伝え聞いて、自分のパートナーになって欲しいと思って竹山を訪ねてくるのだ。雲竹と出会ったことで、竹山には新しい運命が開けることになる。 |
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