壺齋散人の 映画探検
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バッド・エデュケーション:ペドロ・アルモドバル



ペドロ・アルモドバルの2004年の映画「バッド・エデュケーション(La Mala Educación)」は、スペイン流衆道(ゲイ道)ともいうべきものを描いた作品。日本でも衆道は寺院から流行したとされるが、スペインでも同じように、修道院が衆道の舞台だったようだ。この映画はその修道院の学校で衆道を覚えた少年たちが、大人になってから繰り広げる愛憎がテーマなのだ。

ペドロ・アルモドバルは、自身の少年時代に修道院の学校にいたそうで、その頃に衆道と馴れ親しんだのかもしれない。彼にはゲイ趣味があるようで、「オール・アバウト・マイ・マザー」ではゲイ趣味の一端を披露していたところだが、この映画ではそれを全面的に描いているのである。

映画監督と俳優志願の男が主人公である。俳優志願の男イグナシオが一本の脚本を映画監督エンリケのもとに持ち込むのだが、それはかれらの少年時代をモチーフにしたものだった。かれらは少年時代に同じ修道院で学んでいたのだ。エンリケのほうは途中退学になったのだったが、それはイグナシオに恋心を抱いていた校長が、イグナシオのあこがれていたエンリコを邪魔に思ったからだった。そんな人間模様をこの脚本は描いていたのだった。それには、校長によって愛する人を追放され、それによって愛を損なわれたことに対するイグナシオの怒りが働いていた。イグナシオはこの脚本を映画化することで、校長に復習したいと考えたのだ。

そこから、映画化をめぐってさまざまな出来事が起きる。大人になったエンリケとイグナシオは、あらためて同性愛に耽ったりする。また、かれらの少年時代の出来事が、回想というかたちで再現される。かれらがいかにして互いに愛し合うようになったか、また校長がイグナシオに横恋慕して、いかにかれを肉体的に征服したかといったようなことである。その合間にイグナシオの実家を訪ねたエンリコは、イグナシオがすでに死んだという知らせを聞いたりする。では、イグナシオを名乗る男はいったい誰なのか。

そうこうしているうちに映画は完成し、いよいよ公開という段取りになる。するとそこにあの校長が現れる。校長は校長としての立場から、事態の真相を話す。大人になったイグナシオから金の無心をされていたこと、イグナシオには弟がいて、その弟との間で恋仲になったこと。実はその弟こそがイグナシオを名乗ってエンリケに近づいた男なのである。

こんな具合にかなり込み入った筋書きの映画である。イグナシオの弟は、元校長と恋仲であるにかかわらず、かれに復讐するような内容の映画を作る、というのがわかりにくいし、また、エンリケのほうも、自分のほうが校長から憎まれて追放されたにかかわらず、イグナシオほど校長を憎んでいない。当のイグナシオはすでに死んでいたのだが、それは映画が描いているように、校長らが殺したのではなく、弟の意思で殺されたのだというふうになっている。とにかく、筋書がわかりづらいのである。

タイトルの「バッド・エデュケーション」は、修道院での教育のことを言っているのだろう。子どもをゲイにするような教育は、好くないというわけだ。




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