壺齋散人の 映画探検
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抱擁のかけら:ペドロ・アルモドバル



ペドロ・アルモドバルの2009年の映画「抱擁のかけら(Los abrazos rotos)」は、三角関係+αとでもいうべきものを描いた作品だ。+αというのは、一人の女と二人の男をめぐる通常の三角関係に加えて、もう一人の女がからんでくるからである。その男女の複雑な関係を、かなりウェットな感覚で描いている。コメディタッチを売り物にしてきたアルモドバルにしては、めずらしくシリアスな作り方になっている。

主人公は映画監督のマテオ・ブランコ(ルイス・オマール)。彼は失明しているのだが、その理由となったのは14年前の事件だった。その事件をかれは、ふとしたことから思い出す。映画は、現在のマテオと、14年前のマテオとを、交互に映し出しながら展開していくのだ。

かれが14年前の事件を思い出すきっかけになったのは、ある男が訪ねて来たからだ。その男は、さる金持ちの息子なのだが、その金持ちと監督との間で、一人の女をめぐる確執があった。その女レナ(ペネロペ・クルス)は、14年前にマテオとともに交通事故に遭って死んでしまい、マテオのほうは失明したというわけだった。その事故をマテオは長い間忘れようとしていたのだったが、金持ちの息子がいやおうなく思い出させる。思い出しているうちにマテオは、自分たちにぶつかってきた車は金持ちの息子ではないかと疑う。

しかしそれは思い過ごしで、金持ちの息子は別の車からかれらの事故を撮影しており、自分自身は直接関係していないということがわかる。まあ、こんな具合の筋書きで、映画の醍醐味は、マテオとレナの愛、それに金持ちの横恋慕がからむところにある。

レナが金持ちに体を許すようになったのは、家族のためだった。父親が癌で死にそうなところを金持ちが助けてくれたのだ。その金持ちはレナを深く愛する。ところがそのレナが、マテオになびいてしまう。レナには女優になりたいという願望があって、マテオがそれをかなえてくれるからだ。だからレナという女性は計算高い女ともいえる。まず金のために老人の慰め者になり、次には出世したくて映画監督の歓心を買うというわけである。

その映画監督のマテオには、ジュディットという秘書がいて、なにかと身のまわりの世話を焼いている。彼女はかつてマテオの愛人だったのだが、いまでは秘書役に徹している。一人息子がいて、父親はマテオだ。だが、そのことをマテオには話していない。いまでも話す気持ちはない。いまでは友人としてマテオと付き合いたいと思っている。

そういうわけで、かなり錯綜した男女関係がテーマである。レナを演じたペネロペ・クルスは「オール・アバウト・マイ・マザー」ではエイズにかかった若い女性ロサ、「ボルベール」では主役のライムンダを演じていたが、この映画の中の演技が一番よい。なお、原題は「解かれた抱擁」という意味。これは交通事故でむりやり離されてしまったというようなことか。




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