壺齋散人の 映画探検
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テンペスト:デレク・ジャーマン



デレク・ジャーマンの1979年の映画「テンペスト」は、シェイクスピア晩年の有名な戯曲を映画化したものだ。筋書きとしては原作にかなり忠実であり、台詞も原作どおりだ。したがって非常にリズミカルに聞こえる。その一方で、ジャーマンらしい演出もある。登場人物がやたらに裸体になることやら、画面が陰惨なブルーに覆われていることなどだ。その陰惨な画面は、室内の人工的な灯りしかないケースにはそれらしく受け取れるが、屋外の光があふれているべき場面でも、同じように陰惨なブルーが支配している。というわけで、この陰惨なブルーは、デレク・ジャーマンのこだわりの色なのだろうと推測したりもする。

裸体になる登場人物は、ほとんどが男だ。難破したファーディナンドは全裸で登場するし、道化も裸になるところがある。これらは演出上必要のない工夫なので、ジャーマンのこだわりなのだろう。また、魔女が道化たちと裸で戯れる場面も出てくる。魔女は肥満していて醜悪な印象だ。その醜悪な魔女が、映画の最後の所で人間らしい姿で出て来て、祝福の歌を歌う場面があるが、その歌というのが、ニグロ・スピリチュアル風で、そこにもジャーマンらしいこだわりを感じさせる。

原作には、二つのテーマが交錯している。一つはプロスぺロによる未開生活で、もう一つはそのプロスぺロの娘ミランダとファーディナンドの恋だ。ミランダは、全裸のファーディナンドを一目しただけで、恋に陥る。彼女が自分と父親以外の人間を目の前に見るのは、これが初めてなのだ。その彼女は、だいたい半裸の姿で出て来る。原作にはそういう要素はないと言ってよいが、そこは演出者のヒガメのせいで、未開の島に暮らしているということになっているのだから、むしろ半裸でいるとことのほうが自然かもしれない。

この映画は、プロスペロの未開生活をそれらしく描いており、とりわけキャリバンの描き方は秀逸だと思うが、どちらかというと、ミランダとファーディナンドの恋に焦点を当てている。ミランダは、未開人らしく、自分の恋愛感情をストレートにぶつける。彼女がファーディナンドに恋したのは、未開人が文明の光にああこがれたということになっている。それは原作でもそうで、ミランダはファーディナンドに自分にはない高貴さを認めたのであるが、その高貴さは、文明の光の賜物なのである。

というわけでこの映画は、シェイクスピアの原作にかなり忠実でありながら、ところどころ演出上の工夫として、ジャーマンらしさを感じさせるように作られている。ジャーマン以前には、この作品を映画化する者はほとんどいなかったのだが、ジャーマンのこの作品が刺激になって、以後この作品の映画化が、多くの作家たちによって試みられた。ロンドン・オリンピックの開会式のエキジビジョンにも、この作品のイメージが重要な役割を果たしたそうだ。

なお、原作では、登場人物は孤島で一同が集合することになっているが、映画では一同でナポリに着いたことになっている。そのナポリでミランダは、この劇中最も有名なセリフを叫ぶのだ。
   O, wonder!
   How many goodly creatures are there here!
   How beauteous mankind is! O brave new world,
   That has such people in't!




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