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デヴィッド・リーン「オリヴァー・ツイスト」:ディケンズの小説を映画化



デヴィッド・リーン( David Lean )の映画「オリヴァー・ツイスト( Oliver Twist )」は、チャールズ・ディケンズの同名の小説を映画化したものである。ディケンズは19世紀イギリスで国民作家と言われた人気小説家で、主に資本主義社会の矛盾をテーマにした小説を書いた。「オリヴァー・ツイスト」は、そのディケンズの出世作というべき作品だ。やはり、19世紀イギリスにおける資本主義の矛盾を、一人の孤児を通じて描いている。

映画は、小説の内容を、細部を除いてほぼ忠実に再現している。孤児として生まれ、救貧院で育ったこと。9歳になった時に、施設への反抗を理由に救貧院を追い出され、葬儀屋に売られたこと。そこで意地の悪い先輩にいじめられて逃亡し、ひとりでロンドンにやってくること。ロンドンで腹をすかしてうろつきまわっているところを、一人の少年に誘われること。その少年はすりの仲間に属していて、オリヴァーもすりをやらされるようになること。しかし、すりをやりそこなって警察に捕まり、あやうく有罪判決を受けそうになるが、なんとかその難を逃れたばかりか、一人の老紳士(ブラウンロー)に拾われて保護されること。その老人こそ、オリヴァーの実の祖父だったということなどである。

映画の大半は、貧民社会にあえぐオリヴァーが虐待や攻撃を受けるさまを描いている。そういう点で陰惨な印象を与える作品だ。特に後半になると、その印象が強くなる。ブラウンローのところからすり仲間に連れ戻されたオリヴァーを巡って、様々な事件がまきおこる。モンクスという男が現れて、オリヴァーの出自を探る。オリヴァーの境遇に同情したナンシーという女は、オリヴァーを助けようとして仲間の追及にあい、情夫に撲殺されてしまう。また、一儲け企んで大がかりな窃盗を計画するすりの親分の動向など、手に汗握るようなシーンが展開する。これらは、原作にもあった話をほぼそのまま採用しているのであるが、見ていると、オリヴァーの境遇とはあまり関係のない話がどんどん進んでいくという印象を与える。その点で、焦点がボケたような感じをさせられる。

この映画を見ていると、19世紀半ばのイギリスがいかに貧困に溢れた社会であったか、如実に伝わって来る。少年オリヴァーは、他の少年たちと救貧院で働かされ、ろくな食べ物も与えられないで、いつも腹を空かせている。そこでみんなで語らったうえ、オリヴァーがみんなを代表して、もう少し食事の量を増やしてくれと嘆願するのだが、それが施設に対する反抗だと受け取られて追い出されてしまう。追い出された先は葬儀屋だったが、そこでもオリヴァーは、毎日辛い思いをしなければならなかった。

そんなオリヴァーにとって、すり仲間は、少なくとも虐待はしないし、それまでの連中に比べればましだった、というふうに描かれている。すり仲間がマイナスの存在になるのは、オリヴァーが金持の老人に拾われて、前途に希望が見えてきてからだ。こうなると、すり仲間はオリヴァーの幸運の邪魔をする災厄でしかありえない。災厄は取り除かれねばならない。というわけで、最後には、オリヴァーはすり仲間から解放されて、明るい未来に向かって飛び立って行くというわけなのである。

こんなわけで、この映画は、まともに受け取ると、かなりアナクロニスティックだし、現代の風景とはかなり違った世界を感じさせる。それは、ディケンズの小説自体が持っている制約でもある。現代の読者は、ディケンズの小説を、明確な時代設定を前提に読まないと、読みそこなう恐れが強い。それと同じで、この映画も、過去の一時期を回想した一種の歴史映画だと割り切って見るべきかもしれない。

なお、すりの親玉フェイギンは、原作では極悪非道のユダヤ人であり、最後には死刑を言い渡されたあげく、執行を前に発狂することになっている。ディケンズがなぜ、このようなキャラクターを盛り込んだのか、色々な解釈がなされてきた。映画では、そのフェイギンを、巨大な鉤鼻であらわすことで、彼がユダヤ人であることを暗示してはいるが、露骨に強調しているわけではない。また、その性格は、ナンシーを撲殺するサイクスほどに凶暴性を持たされていない。これは、この映画が作られた第二次大戦終了直後という時期と、何らかの関連があるのかもしれない。



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