壺齋散人の 映画探検
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デヴィッド・リーン「戦場にかける橋」:日本軍によるイギリス人捕虜の虐待



デヴィッド・リーン( David Lean )の1957年の映画「戦場にかける橋( The Bridge on The River Kwai )」は、日本軍によるイギリス人捕虜の虐待を主なテーマにした作品である。虐待をする日本人は非人間的な獣のようなものとして描かれ、虐待されるイギリス人は、どんな困難に直面しても、人間としての尊厳を失わない。そんな風に描かれている。だから、我々日本人にとっては、決して愉快な映画ではない。今日こんな映画が作られたら、日本の愛国主義を標榜する勢力の標的にされ、日本では上映できないだろう(アンジェリーナ・ジョリーの映画「アンブロークン」のように)。

ところがこの映画は、日本でも上映され、しかも結構ヒットした。映画の中で流れたテーマソングも大いに流行した。その当時の日本人は、自分たちの同胞がこんな風に描かれても、癪に触らなかったのだろうかと、筆者などは不思議な気がする。

原作はフランス人ピエール・ブールの小説である。ブールは、その小説を自分自身の体験をもとに書いたと言っている。ブールはフランス人であったから、フランス兵としての自身の体験をもとにしたのであろう。映画では、フランス人ではなく、イギリス人(及び一人のアメリカ兵)が日本軍の捕虜となり、虐待を受けたということになっている。だから、史実のとおりというわけではないのだが、そのエッセンスは生かされているということらしい。

映画の骨格をなすストーリーは、日本軍による泰緬鉄道の建設と連合国軍によるその妨害である。泰緬鉄道というのは、タイとビルマを結ぶ鉄道で、シンガポールを起点とし、ゆくゆくはインドにまで至る、インドシナ半島の戦略的な施設として位置付けられたものである。これが完成すれば、日本軍によるインド攻略が推進されるわけで、イギリスとしてはどうしても作らせるわけにはいかない。というわけで、日本とイギリス(その背景にある連合国軍)とのせめぎ合いの第一線になっていたわけである。

映画は、鉄道建設のキーポイントとして、クワイ川と言う大きな川に橋を架けるために、日本軍がイギリス人捕虜を労役に駆り立てたことを問題とする。映画の前半は、日本軍によるイギリス兵捕虜の虐待が繰り返し描かれる。そのシーンを見ていると、早川雪舟演じる日本軍の司令官を始め、日本人は醜悪な存在として描かれ、その日本人によって虐待されるイギリス人は、苦境に立ち向かう勇気ある存在として描かれているわけである。その関係には、相互的な理解とか人間的な触れ合いとかは全くない。日本人というのは、国際条約を無視して、平気で捕虜を虐待する。イギリス人や世界の文明人とは、全く種類の異なった生き物なのだというような、露骨な(日本人にとってはいやな)メッセージが伝わって来る。

ここで面白いのは、イギリス兵の指揮官ニコルソン(アレック・ギネス Alec Guinness )が、橋の建設を、強制された課業としてではなく、自主的な仕事として引き受けるに至る場面である。建設に駆り出されたイギリス兵の大部分は、みなあからさまなサボタージュで応える。それ故橋の建設は一向にはかどらない。あせる日本軍の指揮官斉藤に、ニコルソンが取引を呼びかける。建設の仕事をまるまるイギリス側が請け負うから、自分たちの自主権を認めよ、というのである。期日までに建設を完了しないと自分の首がなくなることを知っている斉藤は、この申し出を受諾する。そこで、イギリス兵がニコルソンの指揮の下に、本気になって橋の建設にとりかかる。その結果、不可能と思われていたことが可能となる。橋は期日までに完成するのだ。

映画の後半では、イギリス側による橋の爆破計画が描かれる。建設現場のキャンプから奇跡的に脱出した米兵のシアーズ中佐(ウィリアム・ホールデン William Holden )に、イギリス軍が声をかける。あるミッションへの勧誘だ。そのミッションとは、日本軍が建設中の橋を爆破しようというものだった。折角命からがら逃げてきたところに、引き返すことなどとんでもないと思ったシアーズは、最初は拒絶していたが、イギリス人将校ウォーデン少佐(ジャック・ホーキンス Jack Hawkins )の巧妙な働きかけで、結局作戦に加わることになる。

こうして、ウォーデンを指揮官とした四人の作戦部隊が、橋の建設現場に向かって、ジャングルの中を前進していく。このジャングルの中での出来事が、映画後半の見どころである。

色々なアクシデントに見舞われながらも、三人になった部隊は、ついに建設現場にたどり着く。無線での指令は、その翌日に一番列車が橋の上を通過するはずだから、その列車もろともに橋を爆破せよというものだった。彼らは、そのミッション達成に向けて最後の仕上げをする。仕上げはうまくはかどって、ついに決定的な瞬間を迎える。列車が橋の上にさしかかったタイミングを狙って、爆破装置を作動させればよいのだ。

だがここで、信じられないようなことがおこる。異変に気付いたニコルソンが、斉藤とともに周辺の点検を始め、ついに橋を爆破する計画に気づくのだ。気づいたニコルソンは、橋の爆破を妨害しようとする。今の彼は、イギリスの将校としてではなく、橋の建設技師として、橋への限りない愛着に囚われてしまっているのだ。

結局、爆破担当のジョイスと、彼の別動隊を勤めていたシアーズとタイ人案内者のヤイは、銃撃戦の中で死んでしまう。それを遠くから見ていたウォーデンは地団駄を踏みながら見守っていたが、結局、負傷したニコルソンが爆破装置の上に倒れ、橋は列車もろともに爆破された。爆破したのが、それを任務としていた人間によってではなく、それをもっともさせたくなかった人間によってなされたというのが皮肉なところだ。

この最後の場面での、ニコルソンの豹変ぶりが、この映画の最大の謎と言える。イギリス軍の誇りを内面化していたニコルソンが何故、橋に愛着する余りとはいえ、敵を利するような行動をとったのか。それは誰にもわからない、というのがこの映画のメッセージだったように思える。

ニコルソンを演じたアレック・ギネスは、「アリヴァー・ツイスト」では、すりの親分フェイギンを演じていた。なかなかの性格俳優と言える。

なお、この映画は、アメリカの国立フィルム・ライブラリーに登録されているそうである。



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