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ケン・ローチ「Sweet Sixteen」:貧困児童問題を描く


ケン・ローチの2002年の映画「Sweet Sixteen」は、家族が崩壊して育児放棄のような状態に陥った少年が、次第に犯罪者の境遇に落ちていく過程を描いた作品。こうした育児放棄に伴なう問題(児童の貧困と呼ばれる)は、日本でも近年可視化されるようななったが、格差社会の進行が早くあらわれた英国では、他国に先がけて大きな社会問題になったようだ。社会問題に敏感なケン・ローチがそれをいち早く映画化したということだろう。

十五歳の少年リアムが主人公。かれは学校にも通わず、仲のよい友達と毎日ブラブラとして過ごしている。彼の母親は刑務所に入っており、リアムは母親の恋人や祖父と一緒に暮らしている。母親の恋人は麻薬の売人をやっており、リアムにもその片棒を担ぐように強要する。リアムがそれを拒絶すると、家から叩き出してしまう。叩き出されたリアムは、とりあえず姉のシャンテルを頼る。シャンテルはシングルマザーで、まだ三歳ほどの幼い男の子を育てているのだ。

リアムには夢があった。母親が出所してきたら、一緒に住みたい。できたら姉のシャンテルにも一緒に住んでほしい。しかし、母親は恋人のスタンに夢中だ。彼女が刑務所に入ったのも、スタンをかばうためだった。そんな母親を、シャンテルは醒めた目で見ているが、リアムにとっては、ただ一人のかけがいのない親なのだ。

友達のピンボールとピクニックに出かけたリアムは、水辺に置かれていたキャラバンが気に入る。自分も頑張れば買える値段だ。そこでリアムは、スタンから麻薬を盗み出し、それをピンボールと一緒に売りさばく。麻薬は結構売れて、リアムは小金を手にすることができたので、それで手付金を払い、キャラバンに住める段取りをつける。

リアムたちの密売を、地元の密売組織が気づく。当初はリアムたちに暴力を加えるが、そのうち、リアムの胆力を見込んで、売人の仲間に入れようとする。ピンボールのほうは、生意気だという理由で排除される。そこで怒ったピンボールが、売人のボスに嫌がらせをする。それに怒ったボスがリアムにピンボールを消すように命じる。ピンボールはリアムにとって、兄弟のように仲のよい友達だったのだが、ボスの意向には逆らえず、ピンボールを死なせてしまう。殺すといわないのは、映画の画面が殺害現場まで映し出しておらず、間接的に言及しているからだ。

リアムはキャラバンを失う。そのことを知ったボスは、別にリアム母子のためにアパートを用意してくれる。リアムは刑務所まで母親を迎えに行き、そのままこのアパートに連れて来るのだ。リアムは大勢の仲間たちを母親の歓迎パーティに誘う。この先ママと一緒に暮らせれば、何もいうことはない。

しかし母親は、翌朝姿を消してしまう。シャンテルが母親の気持を推し量って、ママには期待しない方がよいと忠告する。怒ったリアムはシャンテルに暴力をふるい、スタンの家に母親を迎えに行く。しかし母親は、スタンと一緒にいたいのだ。絶望したリアムは、スタンこそ諸悪の根源と思い込み、ナイフでスタンの腹を刺してしまう。

映画のラストシーンは、水辺をとぼとぼと歩くリアムの姿を映し出す。そこにシャンテルから携帯電話がかかる。シャンテルは、まずこの日がリアムの十六歳の誕生日だと断ったうえで、警察がリアムを探していることを伝え、「あなたを愛している」とささやく。その言葉をリアムは呆然として聞く。この先、かれが向かうべき場所はない。おそらく地球上にはかれの居場所はないのだろう、と思わせながら映画は終わるのである。

少年の悲惨な境遇と、少年をとりまく大人たちの卑劣な生きざまが伝わってくるようになっている。ケン・ローチは、出世作となった「ケス」のなかで、少年の純真な気持ちを描いていたが、その映画はそうした少年の気持に加え、弱いものを食い物にして強いものがはびこる、いわば弱肉小食の野獣たちのジャングルのような現代の格差社会を強烈に批判したといえるのではないか。

映像の美しさとあいまち、ケン・ローチの作品のなかでも傑作の部類に入ると思う。


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