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イギリス映画「おじいさんと草原の小学校」:ケニア現代史を描く



2011年公開のイギリス映画「おじいさんと草原の小学校(The First Grader)」は、ケニアの現代史に題材をとった作品。歴史の明るい面と暗い面とを対比させながら、ケニア現代史を複合的に捉えようとしたものだ。

明るい面とは、ケニアの子どもたちに無償の教育が保障されたことだ。映画はその無償教育の恩恵を受ける子どもたちの様子を描く。その子どもたちにまじって、84歳になるおじいさんが一緒に勉強したいと願う。そのおじいさんは、かつてケニアの独立運動に従事し、イギリス人によって妻子を殺害された過去を持つ。おじいさんは、子どもたちにまじって勉強しながら、ときおり過去の辛い体験を思い出す。映画はそんなおじいさんの現在と過去を交互に映し出しながら展開していく。

ケニアがイギリスから独立したのは1963年のこと。それから40年後に子どもたちへの無償教育が実現した。親たちはこぞって我が子を学校に入れようとする。粗末な学校の建物には、定員の何倍もの子どもたちが詰め込まれ、机が足りないので床の上に座って勉強する子どももいる始末だ。

そんな子どもたちの学校に、ひとりのおじいさんが入れて欲しいと願い出る。学校は子どもたちの物だからという理由で、おじいさんは追い返されるが、あきらめずに何度もやってきては、入れて欲しいと懇願する。その姿にうたれた女性校長は、特別のはからいとしておじいさんを学校に受け入れる。こうして学校でのおじいさんの勉強が始まる。

おじいさんは、子どもたちには愛されるが、土地の大人たちからは嫌われる。又上級機関の役人も、年寄りを学校に入れることを問題視し、追放するように校長に命じる。校長は、生徒としてではなく、自分の助手として使うという形でおじいさんの勉学を助けようとするのだが、その姿勢を上級機関の役人から憎まれ、500キロも離れた土地に転勤させられる。

その仕打ちに憤慨したおじいさんは、首都ナイロビの中央官庁に赴き、最高権力者に向かって、女性校長を戻すように誓願する。その誓願は受け入れられ、女性校長は学校に復帰できることになった。おじいさんの主張が認められたのは、かれがかつてマウマウ団の一員として独立運動に貢献し、そのため妻子を殺され、自分自身拷問を受けるなど、つらい体験をしたからだった。いわば独立運動の英雄なのである。

映画の見どころは、学校でのおじいさんと子どもたちの交流と並んで、マウマウの一員としてあじわったつらい体験だ。イギリス人とその意を受けたカレンジン族が、キクユ人のマウマウであるおじいさんを迫害する。イギリス人の統治スタイルは、どこでも、部族同士を対立させることで、住民の憎しみを直接イギリス人に向けさせないというものだ。この映画の場合には、カレンジン族がイギリス人に協力しておじいさんの部族であるキクユ族を迫害している。だからおじいさんの憎しみは、とりあえずはカレンジン族に向けられるのだ。なにしろ自分の目の前で妻子を殺されたのだから、その憎しみは深い。本来ならイギリス人を憎むべきところ、同じケニアの土着の部族を憎むように、イギリスの統治スタイルは巧妙に仕組まれているというわけである。

この映画はそのイギリス人が作った。どういうつもりで作ったのか。罪の意識からか。監督はジャスティン・チャドウィックである。




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