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ジム・ローチ「オレンジと太陽」:英豪政府の人身売買を描く



ジム・ローチの2011年の映画「オレンジと太陽(Oranges and Sunshine)」は、児童移民と称される子どもの人身売買をテーマにした作品。これはイギリス政府とオーストラリア政府が結託して実施していた制度で、イギリス国内の養護施設の児童を移民としてオーストラリアに送り込んできたというものだ。多くの場合送り込まれた児童は、虐待や強制労働など、ひどい待遇を受けたと見られる。イギリスにとっては、無用者の厄介払いになるし、オーストラリアにとっては人口不足対策になるというので、両国政府にとって都合のよい制度であった。

映画は、イギリスの地方都市(ノッティンガム)の福祉施設のソーシャルワーカーが、ふとしたことから児童移民のことを知り、その実態の解明と被害者の救済に動くさまを描いている。その過程で、被害者となった人々の過去と、かれらを虐待した連中のあくどさがあばかれていく。それを見ると、まさに奴隷売買と異ならぬひどいことが、二十世紀半ばを過ぎるころまで行われていたことに呆然とさせられるし、見方によっては胸糞悪い思いもさせられる。というのも、イギリスとオーストラリアの両政府が深くかかわっていたからで、これらの児童は、国家によって搾取されていたとしか思えないからだ。

イギリス政府もオーストラリア政府も、事態が明らかになって社会問題化したことで、公式に謝罪したそうだが、なぜ誤らねばならぬようなことを、長い間行ってきたのか。それにつけて思い起されるのは、スウィフトの児童食をめぐる提言だ。スウィフトの時代には、孤児の増大が社会問題化していた。そこでスウィフトは「穏やかな提言」を行ったわけだが、それは無用の児童を殺して、その肉を食用に使うというものだった。これは無用のものを消すだけではなく、その肉を利用するという効果もあるわけで、社会にとっては二重の効用がある、とスウィフトは誇らしく(皮肉たっぷりに)提言したものであった。そういう提言を、この児童移民という制度は想起させる。先ほども述べたように、イギリスにとっては厄介払いになるわけだし、オーストラリアにとっては労働力の確保とか、坊主どもの快楽の対象となるわけで、まさしく一石二鳥の効果を持つわけである。

この映画の中でもっともグロテスクなのは、修道院の坊主どもが、子どもを快楽の手段に使っていることだ。坊主たちが集まるところは古来衆道の聖地でもあったわけだが、衆道の相手はそう簡単に集まるわけではない。この制度は、それを解決してもくれるわけで、オーストラリアの白人たちにとっては、さまざまな点で都合がよかったわけである。

オーストラリアといえば、アポリジニと白人との混血児を、強制的に国家監視下に置く制度があって、その様子は「裸足の1500マイル」という映画に描かれていたが、そういう人権無視の体質をオーストラリア政府として持っていたということだろう。ともあれ、つい最近まで、そうした人権無視が国家レベルで横行していたことは、驚くばかりである。イギリス政府といい、オーストラリア政府といい、こんなことに手を染めていては、人権を云々する資格はない。

この映画の監督ジム・ローチは、社会派の映画監督として知られるケン・ローチの息子である。父親の視点を息子も受け継いだということだろう。なお、この映画は、実話をもとにしているという。




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