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静かなる 情熱エミリー・ディキンソン:テレンス・デイヴィス



テレンス・デイヴィスの2016年の映画「静かなる情熱 エミリー・ディキンソン」は、アメリカの偉大な女性詩人エミリー・ディシンソンの半生を描いた作品。エミリー・ディキンソンは、エドガー・ポーと並んで、アメリカが生んだ偉大な詩人ということができるが、その生涯には不明な点が多い。わかっているのは、そう長くはない人生を静かに閉じたということくらいだ。そんなエミリーの伝記的な事実を掘り起こし、彼女の人間的な面を描き出そうというのが、この映画の目的のようである。監督のテレンス・デイヴィスはイギリス人で、この映画もイギリス映画として作られたが、エミリーの生きた19世紀半ばのアメリカ北部を舞台にして、当時のアメリカ人の生き方にも気を配っている。

この映画の中のエミリーは、神の存在に疑問を持ち、宗教的・倫理的な制約よりも個人の自由を重んじる開化的な女性として描かれている。その一方で、宗教的な感情に見舞われることもあり、また、深い憂鬱に沈みがちな性格である。そうした性格は、プロテスタント特にピューリタンによく見られるもので、アメリカで主流を占める福音派に典型的だといわれる。

ピューリタンとして憂欝症に陥った先駆者としては、17世紀初頭のイギリスの詩人ジョン・ダンが有名だ。ダンはピューリタン的な宗教感情を持っている一方、強い憂鬱症に悩まされた。その憂鬱症は、宗教的感情の裏返しだといわれる。そうした傾向を、エミリー・ディキンソンも共有していたようである。だからこの映画を見ると、エミリーはジョン・ダンが十九世紀のアメリカに女の姿を借りて生き返ったというふうに受け取れるのだ。

とにかく、この映画の中のエミリー・ディシンソンは、偏屈で癇癪もちの人間として描かれている。彼女のあの情熱的な詩は、そうした偏屈さと隣りあわせなのだというメッセージが伝わってくる。ジョン・ダンのほうは、自身が聖職者だったこともあり、偏屈というイメージとは遠いが、エミリーは偏屈を通り越して、異常なエゴイストとして描かれている。果たしてそれが、エミリーの実像どおりなのか、小生にはわからない。ただ、この映画を通じてエミリーを好きになる人はいないと思うので、そういう点では、この映画はエミリーに厳しい立場をとっているといってよい。

なお、小生は個人的にはエミリー・ディキンソンのファンで、彼女の詩を自ら翻訳してもいるので、それをここで紹介しておきたいと思う。彼女の詩が醸しだす激しい情熱は、日本語に翻訳された文章からも伝わってくると思う。

(参考)エミリー・ディキンソンの世界 https://poetry.hix05.com/Dickinson/dickinson.index.html




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