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チャップリン「担え銃」:戦争を笑いのめす



「担え銃(Shoulder Arms)」は、第一次世界大戦についてのチャップリンなりの反応である。チャップリンは、基本的には反戦主義者だったので、第一次世界大戦は愚かな戦争だと思っていた。だがアメリカの世論は、英仏連合に味方してドイツ・オーストリアの枢軸国と戦うべきだと盛り上がり、ついにはアメリカも参戦する事態になった。そんな世の中の動向に、疑問をぶつけ、戦争の愚かさを改めて訴えたのがこの映画だといえる。もっとも正面から反戦を唱えることは、当時のアメリカの世論からすれば非常に危険な行為だったわけで、チャップリンは、戦争への抗議を笑いのオブラートに包んで披露して見せた。

この映画は、最前線の兵下たちの戦いぶりを描いている。戦いぶりと言っても、チャップリンのことだから、殺し合いを露骨に描いたりはしない。前線にそって掘った塹壕の中での、兵下たちの非日常的な日常生活を描くのである。当時の戦争は、陸上戦が中心で、前線に沿って掘った塹壕を拠点としながら、相手に攻撃を加えるというものだった。それ故、戦闘シーンは主に塹壕戦の様相を帯びるわけである。

戦闘が長引けば、塹壕は攻撃の足がかりであると同時に、そこにこもった兵士たちの生活の場所ともなる。兵士たちはそこで寝起きし、その合間に攻撃したり防御したりするわけである。

チャップリン扮するアメリカ兵たちの一群も、恐らくフランスの西部戦線のどこかあたりの塹壕に立てこもる。彼らの目の前には、ドイツ側が塹壕を掘って、アメリカ側に対峙している。両者の間には時折戦闘が交されるが、映画が主に描き出すのは、塹壕での兵士たちの暮らしぶりだ。塹壕は雨が降った後は水浸しになり、兵士たちは水に半分もぐりながら寝なければならない。つらい毎日だ。彼らにとって唯一の慰めは、家族から手紙や差し入れが届くことだが、チャップリンには何も届かない。彼は天涯孤独の身のようなのだ。そこで隣に座っている兵士の手紙を盗み見たりする。

やがてチャップリンは、ドイツ陣営に斥候に出される。決死の行動だ。そこで壊れかけたフランス人の家で綺麗なフランス女と出会い、チャップリンは恋に陥る。人間、戦争中であっても、また軍人の身であっても、恋をしてはならないという道理はない、そういうチャップリンの哲学が反映している部分だ。

チャップリンはドイツ兵たちに囲まれて孤軍奮闘する。ドイツ兵は丸い帽子のうえにとんがった角のようなものを突き立てており、チャップリンは南北戦争で北軍の兵士がかぶっていたつばひろの帽子をかぶっている。帽子は軍服の中でももっともシンボリックなものだ。ドイツ兵のとんがった角は好戦的な性格をあらわし、チャップリンのつばひろの帽子はある種の長閑さを感じさせる。こんな帽子をかぶって戦場にいるなんて、アナクロニスティックだ、とチャップリンはいいたいようでもある。

ドイツ軍の陣地にカイザーが視察に来る。それをチャップリンは、彼一流の智恵で以て捕虜にしてしまう。チャップリンは英雄になる。斥候に出されるときには二度と帰れないと思っていたが、実に敵方の皇帝を人質にして凱旋したのだ。チャップリンは大いに得意になる。その得意の絶頂で夢が覚める。そんな都合のいい話があるわけがない。大体、戦争というものは人を狂気に陥らせるもので、チャップリンならずとも、誰もが有り得ない妄想を抱きがちだ、そんなふうなメッセージを送りながら映画は終わるのである。

こんな具合にこの映画は、戦争をテーマにしながら戦闘を描かず、人々の戦意を高揚させると見せかけて実は戦争の愚かさについて考えさせる、といった具合にできている。



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