壺齋散人の 映画探検
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ウィリアム・ワイラーの映画:代表作の鑑賞と解説

ウィリアム・ワイラー(William Wyler)といえば、日本では「ローマの休日」が圧倒的に強い印象がある。たしかにこの映画は、洒落たラブ・ロマンスとして、戦後の日本人に男女関係の理想的なタイプの一つを示してくれた。その意味でワイラーは、日本人の恋の指南役といってもよい。また、日本人はこの映画を通じて、ローマというヨーロッパの古都の魅力にとりつかれた。かくいう筆者も、ローマに旅し、真実の口やスペイン広場など、この映画の描いたところを訪ね歩いたものである。

ウィリアム・ワイラーは、1926年に監督デビューした。彼の名を高めたのは、ベティ・デーヴィスと組んで、女の情熱を描いた一連の作品だった。ベティ・デーヴィスは怪しい魅力にあふれた女優で、アメリカ映画史上最も偉大な女優の一人である。そのベティ・デーヴィスを起用した作品としては、「黒蘭の女」(1938)、「月光の女」(1940)、「偽りの花園」(1941)がある。彼女は、「黒蘭の女」では、黄熱病が猖獗を極めるアメリカ南部を舞台に、愛に執念を燃やす女を演じ、「月光の女」と「偽りの花園」では、悪女を演じた。特に「偽りの花園」における悪女ぶりは、こんな女なら自分も虐げられてみたいと感じさせるほど迫力に満ちた演技ぶりだった。こうした演技ぶりを通して、ウィリアム・ワイラーは、アメリカの女かたぎを表現したかったのだと思う。

その一方で、「嵐が丘」(1939)のような、文学作品に取材したものや、また、戦時中には「ミニヴァー夫人」(1942)のような戦意高揚映画を作った。戦後は「我らの生涯の最良の年」で、復員兵の社会復帰のむつかしさを描いた。第二次世界大戦が、市民生活に及ぼした影響を、かれなりに考えた成果だったといえる。

また、「必死の逃亡者」のようなサスペンス・ドラマ、「友情ある説得」のような宗教的な映画、「大いなる西部」のような西部劇、「ベン・ハー」のようなスペクタクル映画を作った。「コレクター」のようなサイケデリックな映画も作っている。一見すると、それぞれが相互に関係なく、バラバラなイメージに見えないこともないが、そんな中で、ウィリアム・ワイラーらしさというべきものがあって、それは、基本的には人間らしい生き方とは何か、ということに、かれがこだわり続けたということではないか。

こんわわけでウィリアム・ワイラーは、様々なジャンルの映画を心憎い演出で手掛け、見るものをうならせながら、その仕事ぶりには、彼一流の徹底したこだわりがあり、映画の職人とも称されるべき、映画の巨匠たるの名声に相応しい人物である。

ここではそんなウィリアム・ワイラーの代表作を取り上げ、鑑賞しながら適宜解説・批評を加えたい。


ウィリアム・ワイラー「黒蘭の女」:アメリカ女性の理想像

ウィリアム・ワイラー「嵐が丘」:エミリー・ブロンテの小説を映画化

ウィリアム・ワイラー「月光の女」:法とは一種のゲーム


ウィリアム・ワイラー「偽りの花園」:ベティ・デーヴィスの悪女ぶり

ウィリアム・ワイラー「ミニヴァー夫人」:戦意高揚映画の傑作


ウィリアム・ワイラー「我らの生涯の最良の年」:復員した兵士たちの社会復帰


ウィリアム・ワイラー「黄昏」:熱烈な恋の結末

ウィリアム・ワイラー「ローマの休日」:オードリー・ヘップバーンの魅力


ウィリアム・ワイラー「必死の逃亡者」:脱獄囚に立ち向かう


ウィリアム・ワイラー「友情ある説得」:クェーカー教徒の信仰と南北戦争

ウィリアム・ワイラー「大いなる西部」:自分自身が法


ウィリアム・ワイラー「ベン・ハー」:スペクタクル巨編


ウィリアム・ワイラー「コレクター」:ストーカーによる婦女監禁


ウィリアム・ワイラー「おしゃれ泥棒」:宝物を盗む話




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