壺齋散人の 映画探検
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ウディ・アレン「アニー・ホール」:シリアスな会話



「アニー・ホール(Annie Hall)」は、ウディ・アレンにとって転機となった作品だ。それまでは専ら軽いタッチのコメディ映画を作っていたアレンが、この映画では喜劇的精神をベースにしながらも、シリアスなことを語るようになる。その語り振りが独特で、しかも時代の雰囲気にマッチしていたというので、アレンは一躍メジャーな映画作家として認められるようになった。

喜劇的精神をベースにしているというのは、主人公を演じるアレン自身がコメディアンの役柄ということもあるが、そのアレンが世界をクールな目で見ていることにある。もっともそのクールな目は、自分自身に向けられるとウェットになりがちなのだが。それというのも、アレンは自分と世界との間がなにかしっくりしないと感じているからで、その違和感は、恋人との間で完璧な共同体を作れないもどかしさに由来しているようなのだ。

その違和感の実体が何なのか、アレンはそれを知ろうとして自問自答を繰り返すし、また恋人との間で長たらしい会話を重ねる。この映画の最大の特徴は、長たらしい会話が多いということだ。映画の半分くらいは、そうした会話から成り立っているのではないか。この映画が新鮮だという印象を与えたのは、そうした会話の部分にある。この映画は会話劇といってよいほどなのだ。

その会話だが、これが時代を反映したものになっている。男女のフリーラヴとそれを支えている女性の自立、人生は悲惨であるかそれとも惨めであるか、そのどちらかだといった議論、ニューヨークとロサンゼルスとの文化的な違い、そしてアメリカ人の反ユダヤ意識、これはアレン自身がユダヤ人であり、映画の中でもユダヤ人を演じていることからくるのだと思うが、そうしたさまざまなことを話題にして、延々と会話が続けられる。その合間にセックスもするが、これもまた肉体を通じての会話という意味を持たされている。

セックスと言えば、アレンはベッドのうえでこんな言葉をつぶやく。ハゲは強い、ロマンスグレーは弱い、と。アレン自身がハゲなので、自分は強いといっているつもりのようなのだが、パートナーのダイアン・キートンはそうは思っていないらしい。彼女はアレンのことが好きなのだが、それは彼の人柄が好きになったのであって、彼のセックス能力には満足していないらしい。彼女が結局アレンのもとを去ってゆくのは、どうやらセックスへの不満が根底にあるらしいことを映画は匂わせるのだ。

アレンとしては、セックスが理由で捨てられるのは悲しい。そこで、人生の空虚な部分をオーガズムで埋めようとするのは大変だよ、と言って、自分のことをトータルな視点から評価してほしいと言うのだが、女の側に立ってみれば、セックスに満足できない人生なんて、生きるに価しないということになる。だから、アレンのもとから去っていくわけである。

この映画では、セックスのほかにも様々なことがおしゃべりの題材になっていることは上述したとおりだ。そのなかでもアレンが一番拘っているのは、アメリカ人の反ユダヤ感情だ。アメリカ人、それはアングロサクソン系の白人ということになるのだろうが、その連中がなぜユダヤ人を嫌うのか、それにアレンは拘る。恋人であるダイアン・キートンの家に招かれるシーンで、ダイアンの祖母がユダヤ人のアレンに嫌悪感を示すところがあるが、それは理屈ではなく、身体的な反応として描かれている。いわば条件反射のようなものだ。

アレンが自分を左翼と自認しているのは、文化的マイノリティとして差別される側にいるからだろう。だから恋人のダイアンが右翼の雑誌を読んでいたりすると、びっくり仰天するのである。アメリカの右翼は要するに白人至上主義で、ユダヤ人を白人に含めていない。ユダヤ人はものの数に入らないわけだ。そんな考え方を恋人が共有しているとあっては、びっくり仰天せずにはいられないだろう。

女の方ではセックスの不満、男のほうでは女の偏った考え方への不満、それらが同時に働いて二人は別れることになるのだが、しかしお互い完全に忘れさることが出来ない。そこでよりを戻そうともするのだが、一度ほつれた絆はもはやもとにはもどらない。そんなわけでお互いに後ろ髪を引かれつつ、離れ離れになってゆくことを暗示しながら映画は終わるのである。

ダイアン・キートンは、これ以前にも「スリーパー」を初めアレンの映画にいくつか出てきた。「スリーパー」を見たとき、「卒業」のキャサリン・ロスに似ているという印象を持ったが、この映画でその印象が強まった。自由な女というイメージが共通しているからだと思う。



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