壺齋散人の 映画探検
HOMEブログ本館美術批評東京を描く水彩画動物写真西洋哲学 プロフィール掲示板

シェーン:アメリカ西部劇映画の名作



1953年のアメリカ映画「シェーン」は西部劇の名作である。日本でも大ヒットし、小生のような団塊の世代に属する人間は、見ていないものがいないほどである。この映画のどこがそこまで日本人の心を掴んだのか。西部劇に普通の日本人が期待したものは、チャンバラ映画とたいしてかわらぬ勧善懲悪劇だったと思うのだが、この映画にはそれがふんだんに盛り込まれているばかりでなく、それ以外にさまざまな工夫がみられる。その工夫がなかなか行き届いているので、当のアメリカ人はともかく、日本人までが魅了されたということだろう。

その工夫については、日本の自称映画評論家たちもさまざまな言及を行ってきた。アメリカの開拓時代における遊牧民と定住民との対立だとか、アメリカ人好みの暴力礼賛が洗練された形で描かれているとか、あるいは流浪の武人が村の用心棒となって山賊どもを退治するとかいった見方である。とくに最後の見方については、黒沢の映画「七人の侍」との類似性に思いをはせさせる。黒沢が「七人の侍」を作ったのは、1954年のことであり、それ以前にこの映画を見ていたことは明かなので、それに刺激されて「七人の侍」を作ったという推測には十分な理由がある。

勧善懲悪ということについては、日本人はちゃんばら映画への偏愛を通して、その根深い好みをあらわしていたわけだが、この映画の中でも、正義のガンマンと無法なやくざ者の対立というかたちで、勧善懲悪が典型的でかつドラマチックに展開されている。その正義のガンマンが、マッチョな男ではなく、どちらかというと優男であるにもかかわらず、スーパーマン並みの腕力を発揮するという設定も、当時の日本人をしびれさせたのではないか。アメリカ映画では、マッチョな男ぶりが主流であるが、日本のチャンバラ映画では、むしろ優男が活躍する伝統があって、そういう伝統が、この映画の中のアラン・ラッド演じる優男のガンマンに親近感を抱かせたのではないか。

アメリカ映画、とりわけ西部劇における勧善懲悪の伝統においては、悪者はインディアンが白人のアウトローで代表されていたのだったが、インディアンを悪者にするのは、さすがにはばかられるようになり、その分白人のアウトローの存在感が増している。近年のアメリカ人が、トランプのような白人のアウトローに強い郷愁を感じているらしいのは、アメリカ社会からわかりやすい悪者がいなくなって、そのかわりに分けのわからぬ、薄気味の悪い悪党がはびこっていることへの違和感が働いているのではないか。

ともあれ、この映画が、アメリカ西部劇の歴史に燦然と輝く名作であることは、間違いないように思われる。




HOMEアメリカ映画アメリカ映画補遺









作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2013-2021
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである