壺齋散人の 映画探検
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フランク・キャプラ「我が家の楽園」:底抜けの楽天主義



フランク・キャプラは楽天的なアメリカン・ライフを軽快なタッチで描き出すことが得意だった。1938年に作った「我が家の楽園(You Can't Take It With You)」はその彼の代表作と言える。この映画には底抜けの楽天主義と、それを支える人間たちへの無条件の信頼がある。それでいて、アメリカ映画にありがちなプロテスタント臭さがない。徹底して現世主義的である。原題の You Can't Take It With You とは、金はあの世までは持っていけない、という意味だが、これは主人公の老人が金持ちの老人に向かって吐く言葉だ。いくら金を稼いでも、あの世までは持っていけない。人間の幸福は金では測れない。あの世ではなくこの生きている世の中を楽園に変えるには、もっとほかにやることがあるだろうと言うわけである。

金儲けが唯一の生きがいである実業家と、金はないが気楽に生きている老人がいる。金持ちは老人の住んでいる家の一帯を買収して、そこに軍需工場を建てる計画でいるが、老人が頑として売らない。金持ちには一人息子がいて、老人の孫娘を愛する。老人同士では利害が対立しているが、その子孫同志は深く愛し合っているわけだ。そこで一騒動が持ち上がる。その騒動を乗り越えて、老人同士は和解し、若者同士は愛を貫くというのが大方の筋書きだ。

この筋書きからわかるとおり、金と愛と言ういかにもアメリカ的なものをめぐって、気のよい人々が繰り広げる人間喜劇というのがこの映画の印象だ。登場人物たちが、紆余曲折を経ながら最後には互いを認め合うというハッピーエンドになっている。映画全体を通じて深刻な所はほとんどない。一時は若い男女が危機的な状況に陥ったり、老人が家を売る決断をしたりと、場合によっては悲劇的に陥りかねない要素はあるが、それもハッピーエンドに集約されて、すこしも深刻にならない。長い人生を彩る飾りのような位置づけだ。

老人のモットーは自分のしたいことをしろ、ということだ。彼はそれを自分にも適用しているし、自分の肉親や居候たちにも適用している。老人の家には大勢の居候がいるのだ。映画の最初の場面でも、新たな居候が加わることになっている。その居候たちが、思い思いに自分たちの好きなことをやっている。無論金にはならない。彼らは事実上老人に寄生して生きているのだ。しかしそれでやっていければそれでよいではないか。そういう雰囲気が伝わってくるようになっている。

そんな具合だから、老人は近所の人々にも愛されている。だから老人が危機に陥った時には、みなで老人を助けてくれる。その危機とは、金持ち側が仕組んだ罠に老人が引っかかって裁判にかけられ有罪を宣告されたことだった。金持ちがやとったブローカーが警察を買収してその罠を仕掛けたというわけだ。老人は有罪になったが執行猶予を付けてやろうと言われる。そのためには大金が必要だが、老人にはその金がない。すると近所の人たちが小銭を持ち寄って、その金を用立ててやるのだ。この裁判のシーンは、「オペラハット」のそれを思わせる。「オペラハット」でもグレゴリー・ペック演じる主人公が危機に陥ると、彼を愛する人々が声援を送っていた。

ともあれ、老人が危機に陥ったのは金持ちのせいだと思い込んだ孫娘は、家を飛び出して姿をくらましてしまう。ここで一つの危機が訪れるが、若い二人を気遣う老人の機転で二人は何とか無事に結ばれる。その場へたまたま若者の父親である金持ちが居合わせる。金持ちは思うところがあって老人の生き方に共鳴し、自分の息子が老人の孫娘と結婚するのを許すのだ。

かくしてハッピーエンドになるというわけだが、何と言っても老人を演じたライオネル・バリモアの演技がよい。孫娘を演じたジーン・アーサーは、「オペラハット」の女性記者ほどではないが自立したいかにもアメリカ的な女性として描かれている。その彼女の恋人役をジェームズ・スチュアートが演じているが、これもまたとぼけたところに独特の味わいがある。



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