壺齋散人の 映画探検
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ビリー・ワイルダー「第十七捕虜収容所」:捕虜収容所の日常を描く



戦争映画は数多く作られたが、捕虜をテーマにしたものがない。そこで自分がそれを作ってみた。そうビリー・ワイルダーは、この映画の冒頭アナウンスで言っている。1953年の映画「第十七捕虜収容所(Stalag 17)」は、そのような問題意識から作られた作品である。

舞台は、ドイツ軍の捕虜収容所。ドナウ川に近いある場所が想定されている。そこにドイツ軍によって捕らえられた各国の兵士が収容されている。タイトルの第十七捕虜収容所には、アメリカ軍の軍曹ばかりが集められている。どういうことかわからぬが、同じ階級のものばかり集めるのは、ドイツ軍の捕虜取扱いの特徴なのかもしれない。もしかしたらそのほうが、効率的に管理運営できるのかもしれない。

映画は、ある収用棟から脱走した二人の兵士が、ドイツ兵によって待ち伏せされ、射殺されるシーンから始まる。極秘に計画したにかかわらず、なぜドイツ兵に待ち伏せされたのか、アメリカ兵たちに疑念が広がる。疑念のたねになることは、この後も引き続いて起こる。そこでかれらは、この棟の中にスパイがいるに違いないと思うようになる。

ウィリアム・ホールデン演じるセフトンという兵士に周囲の疑念が集まる。かれは日頃自分勝手な行動をしているせいで変わり者と思われ、疑われやすかったのだ。そこで皆から袋叩きにされる。身の覚えのないセフトンは、本当のスパイを探し出し、袋叩きの復讐をしようと決意する。その結果、スパイはドイツ兵がアメリカ兵に化けて忍び込んだということがわかる。いきなりそのスパイを掣肘すれば、不都合な事態が予想されるので、慎重にやらねばならない。セフトンはいろいろと考えた上で、そのスパイをドイツ軍によって片付けてもらうように工夫する。自分自身は、別のアメリカ兵と共に脱走し、その騒ぎの最中に、スパイがドイツ兵に射殺されるように工夫するのである。

そんなわけで、捕虜をテーマにした映画ではあるが、並の設定ではなく、スパイを絡ませているところがミソだ。スパイを通じて捕虜の動向を管理しようという発想は、日本の映画の中には見られないようだ。日本兵でアメリカ軍の捕虜になったケースとしては、大岡昇平の俘虜記などがあるが、そこでは日本兵から気のきいたものを選んで、収用所の管理運営に協力させたというような話は出てくるが、この映画の中に出来くるスパイのようなものへの言及はない。

ウィリアム・ホールデンは、いわゆる大男ではないので、マッチョなタフガイという印象はない。膂力に欠けるところを頭脳で補うといったタイプだ。この映画には、そういうホールデンの特徴がよく発揮されていると言えよう。




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