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原一男「ゆきゆきて神軍」:アナーキスト奥崎謙三の戦争犯罪追及



「ゆきゆきて神軍」は、アナーキスト奥崎謙三の戦争犯罪追及を追ったドキュメンタリー映画である。奥崎は、昭和天皇の一般参賀の場で天皇に向けてパチンコを打ったり、東京の繁華街のデパートの屋上から皇室を中傷する卑猥なポルノ画像をばら撒いたことなどで世間の注目を浴びた。彼のそうした行為の背景には、戦争で多くの人々を殺した国家への激しい憎悪があり、その憎悪が国家の象徴である天皇に向けられたと言われた。もっとも、彼はこれらの事件の前に傷害致死事件をも起こしており、その性格には明らかに異常があったとも評された。ともあれ、普通の人間の想像を超えたところのある人間には違いない。そのユニークな人間による戦争犯罪の追及の過程を、このドキュメンタリー映画は忠実に追っていくわけである。

奥崎は、ニューギニア戦線で捕虜になり、戦後復員してきたのだったが、自分の目で見た戦争の非人間的な残酷さを通じて、そのような戦争に国民を駆り立てた国家に疑問を呈するようになり、アナーキストとなった。彼は、自分の所属していた部隊やその近隣の部隊で、下級兵士が軍法会議にもかけられずに殺されたということを知り、その真相を解明した上で、責任ある者に償いをさせようと突然決意する。このドキュメンタリー映画は、そうした奥崎の戦争犯罪の真相究明と、責任あるものへの謝罪要求の過程を、時間を追って描いたものである。

ドキュメンタリー映画というものは、闇雲に映像を記録するだけでは成り立たないから、そこには一定の明確な意図がなければならない。個々の映像は、この意図に沿って記録され、その意図にもとづいて編集される。この作品の場合には、その意図に当たるものは、奥崎本人の戦争犯罪を糾明しようとする意思であり、彼に向かい合った関係者(戦争犯罪の当事者ほか)がそれに対してどのような反応を見せるかを、明らかにしようということだったに違いない。それ故、映画の撮影に入る前には、製作者と奥崎との間で一定の了解が成立していたはずである。でなければ、映画の進行は、こんなにスムースには行かなかっただろう。

このプランを誰が立ち上げたかについては、よくわからない。奥崎本人が映画製作者に話をもちこんだのか、それとも映画製作者が奥崎に強い興味を覚え、協力して映画を作ろうと呼びかけたのか、真相はわからない。映画は原一男が監督したが、基本プランは今村昌平が作ったということになっている。今村といえば、彼にもアナーキスティックな面があるから、奥崎に一定の感情移入をし、奥崎のアナーキスティックな感情を映画の中で表現したいという思惑があったのかもしれない。どちらにしても、この映画は、奥崎本人の強い意志が貫徹されており、彼のその意思に従って展開していくような形になっている。だから、彼の一人芝居みたいなところもあるし、逆に言えば、映画製作者と奥崎が共謀した、「やらせ」みたいなところもある。

奥崎が映画の中で取り上げる戦争犯罪は二つ。どちらもニューギニアで終戦前後に起きた事件。ひとつは自分の部隊で起きた下級兵銃殺事件、もうひとつは別の部隊で起きた二人の下級兵銃殺事件だ。このうち、自分の部隊での事件については、奥崎はもと上官を訪ねて、知っていることを話せと迫る。しかし、彼のエネルギーの主要なものは、別の部隊で起きた事件に集中する。奥崎は、この事件に関わったと思われる人々を、一人ひとり訪ね歩き、事件の真相を明らかにした上で、責任ある者に償いをさせようとするのである。

映画の中の奥崎は、すさまじいバイタリティにあふれている。自分がしていることは正義なのだという強い確信がそのバイタリティを支えている。そんなバイタリティをもって迫られる元軍人たちは、一様にあたふたとする。そんな彼らを奥崎は、時に暴力をふるって追及するが、なかなか真相を裏付けるような証言は出てこない。映画を見ていて不思議に思うのは、奥崎に踏み込まれた上、勝手放題なことを言われて、言われた相手が怒ったり拒絶反応を見せないことだ。奥崎は、自分一人ではなく、だいたい警察を伴って行っていたようなので、踏み込まれたほうでは、警察が一緒にいるからということで、油断していたという面もあろう。しかし、もしそうなら、警察のほうも奥崎に勝手放題に振舞わせたということで、それなりに問題を感じたりもする。

奥崎の追及は一方的で、相手に一切の弁解を許さない。弁解しようとすれば、強弁をふるってさえぎり、時にはいきなり手を出す。面白いのは、相手が知らぬ存ぜぬと言う態度を取ったときには無論、たとえば靖国神社の名を出したときにも、奥崎が激情することだ。それは条件反射ともいえるもので、奥崎がいかに天皇制イデオロギーを忌避していたか、よく現れている。

奥崎の追及が熱を帯びるあまり、時には明らかな逸脱を見せることもある。下級兵士が軍法会議にもかけられずに殺されたのは、その肉を食うことが目的だったのではないか、という推理などはその典型である。奥崎と同行して、追及に加わったある遺族などは、自分の身内が殺されたのは、肉をとられるためだったに違いないと、強く信じるようにもなる。それは第三者の目からは、妄想以外の何者にも見えないのだが、映画の中ではそれなりのリアリティを持っているのである。

人肉を、白豚とか黒豚と言い、日本兵が飢えに駆られるまま、いかにそれらの肉を食ったか、などというおぞましい話が、世間話のように語られる場面もある。黒豚とは現地住民の肉、白豚とは白人の肉をさすとは、この映画で初めて知ったことだ。元兵士たちは、黒豚はなかなか手に入らなかったが、白豚はよく食ったと言った。白豚には日本兵の肉も含まれるのかと言う質問に対しては、大方口を濁していた。

とにかく、奥崎の追及の激しさはすさまじいものだ。それは彼の身に染みた怨念がそうさせるのだろう。それがいいか悪いかは別として、この映画は一人の男の怨念を赤裸々に描き出したものとして、類稀なものといえる。なお、奥崎の怨念は慰められることがなく、彼が追及した事件の首謀者と思われるものを、映画の撮影後まもなく襲撃した。その襲撃で、相手の家族を撃った罪状で、奥崎は懲役12年の刑に服することになる。



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