壺齋散人の 映画探検
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311:東日本大震災の記録



「311」は、東日本大震災の直後に、森達也ら四人の映画人が被災現場に入って記録したドキュメンタリー映画である。目の前に広がる光景を淡々と映したもので、それを見ての驚きの声を聞くほかは、解説めいたものはほとんどない。映像自体が雄弁に物語っている。福島原発周辺では、うなぎ上りに上昇する原子力バロメータの数値とか、瓦礫がうずたかく積み重なった津波の現場とかだ。それを見ると、災害のすさまじさが皮膚感覚として伝わって来る。

かれらは災害発生から15日後の3月26日に現場に向かった。まず内陸部の三春にゆき、そこから福島原発に接近し、無人になった原発周辺地域を走ったあと、津波の現場に向かう。陸前高田、大船渡、石巻、東松島など、津波で甚大な被害を受けた地域を歩く。瓦礫の山がその地域の惨状を物語っている。海岸線から3.5キロ入ったところまで瓦礫の山はあった。

避難所にはいまだに多くの人々が身を寄せている。その人々から被災の状況を聞く。また災害復旧の現場にも赴く。かれらの取材に対して、ほとんどの人は素直に協力しているのが印象的だった。中には、あがったばかりの死体を前に、取材に対して拒絶反応を示す者もいるが、それは例外的なケースで、ほとんどの場合には、インタビューにも応じているのである。

かれらが最も力を入れて取材したのは、大川小学校。ここは70人もの子どもたちが死んだところだ。取材した時点でまだ18人が行方不明の状態だった。インタビューに応じた親たちは、学校にいるからと思って安心していたのに、なぜこんなことになってしまったか、理解できない、といったふうだった。学校のすぐ近くに山があり、そこに上れば大丈夫だったはずなのに、何故反対側へ向かって、津波に呑まれてしまったのか。学校側の判断に納得出来ないものがある、そういう親もいる。たしかに、同じような立地の学校が沢山あったなかで、多くの子どもが死んだのはこの学校だけなのだ(その後、この学校の対応をめぐり訴訟が起こされたことは周知のとおりだ)。

その大川小学校の児童の遺品が、地上にずらりと並べられている光景は、死んだ人たちの怨念のようなものを感じさせた。また、避難所には安否に関するメッセージが沢山はられていたが、それは人間のつながりの尊さのようなものを感じさせた。

こんな具合に、この映画は震災発生からしばらくたった時点での、被災現場の様子の一端をビジュアルに捉えて記録したものだ。津波や原発のメルトダウンの様子を直接紹介する映像は出てこない。あくまでも、それら災害の痕跡と原子力による大気汚染の状況を淡々と映し出すことにとどめている。




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