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マイケル・ムーア「華氏911」:ブッシュ・ジュニアを痛烈批判



マイケル・ムーアは社会派のドキュメンタリー作家として有名だ。その代表作「華氏911」はジョージ・W・ブッシュの一期目の政治について痛烈に批判したものだ。公開されたのは2004年の大統領選のさなかで、内容からしてブッシュに対するネガティブ・キャンペーンと受け取られた。この映画がキャンペーンとしてどれくらいの効果を上げたかについては両論ある。ほとんど影響しなかったという見方もあれば、大いに影響したという見方もある。後者の見方をするものは、このキャンペーン映画の影響がなければブッシュは圧倒的な優位で再選されただろうと言う。

題名は9.11のテロを暗示している。このテロに対するブッシュの反応を徹底的に批判するというのが、この映画のコンセプトだ。ブッシュは、このテロの当事者がビン・ラディンであることを知りながら、ビン・ラディンに対する措置を躊躇し、かわってこのテロとは何の関係もなく、またアメリカの安全保障にとって何らの脅威でもなかったイラクを攻撃した。その訳は、彼のビジネスをめぐる利害関心にあった、と言うような内容である。

ムーアは、ブッシュの一期目の大統領選に際して反ブッシュ陣営に属してキャンペーンを張った。そんなこともあって、ブッシュを天敵のように見ているところがある。この映画は、そのブッシュが初めて大統領に当選する場面から始まるが、それはフロリダにおける接戦を制することができたからであり、その背景には選挙人名簿の作成を巡る組織的な不正があった、その不正を指揮していたのはほかならぬ当時のフロリダ州知事ジェブ・ブッシュ、すなわちジョージ・W・ブッシュの実の弟であった、というようなアナウンスが流れる。観客は、映画の冒頭から、これが露骨な反ブッシュ・キャンペーンであることを認識するわけである。

キャンペーンの目的は、ブッシュの二期目の大統領選出を阻止することであるから、ブッシュがいかに大統領の器でないかを、執拗に強調している。映画の前半は、主として9.11テロに対するブッシュの反応を、後半はイラク戦争を描いているが、どちらもブッシュがアメリカの指導者として問題を抱えているということを強調しているわけである。

前半で、ブッシュがビン・ラディン対応で迷いに迷う場面がいくつも出て来るが、それはブッシュが石油利権をめぐってサウディアラビアと密接な関係にあり、ビン・ラディンの一族がブッシュ一家にとって大切なパートナーであったために、ビン・ラディンへの迅速な対応をためらったのだ、というように解説される。ブッシュは、自分の個人的なビジネスをアメリカ合衆国の国益に優先させたと言わんばかりなのである。

後半で、ブッシュが対イラク戦争を決断したのも、ブッシュのビジネスへの関心からだというようなメッセージが流れる。ブッシュのイラクに対する宣戦布告の理由は言いがかり以外のなにものでもない、ブッシュの本意はイラクの石油利権とウォー・ビジネスにあったと言うのである。実際アメリカは、この戦争を通じてイラクの石油利権を手に入れた一方、アメリカの企業はウォー・ビジネスで大儲けをした、そのいづれにもブッシュ政権は強いかかわりを持っていた。ブッシュ一家は石油利権のおこぼれを頂戴するという形で、またブッシュの副大統領であったチェイニーはハリバートンといったウォー・ビジネスで大儲けをするという形で。

ブッシュ一家やウォー・ビジネスが大儲けする一方で、戦場で死んでいく兵士たちは、ほとんどが貧しい家庭の出身だ。彼らは、軍隊に志願する以外に安定した職に就けないという理由で、軍隊に志願して来るのである。ムーアの出身地ミシガン州フリントは、自動車産業の斜陽化で仕事がなくなり、若者の半分がまともな職に就けないといった状況だ。そんなかで、若者の多くが軍に志願し、イラクで戦死している。アメリカは、こうした貧しい若者たちの命と引き換えに、ブッシュ一家やウォー・ビジネスが繁栄しているという構図になっている、とムーアは激しく糾弾するわけだ。

画面には9.11テロに怯える市民の表情や、イラク戦争における米軍兵士と現地住民の様子が映し出される。中には、いわゆるフード事件とかアメリカ人の遺体が吊るされるシーンなど、エポックメーキングな事件の映像もある。それらの映像は、ドキュメンタリー・アーカイブの中からムーアが選択したものだろう。ムーアといえば、肉薄取材で有名だとのことだが、このようなテーマになると、どうしても自分一人の手にはあまる。勢い既存のドキュメントを活用せざるをえない。映画の性質上、ブッシュの表情が頻繁に映し出されるが、これらのほとんども、既存のアーカイブから引っ張り出して来たものではないか。

ムーア自身が登場するシーンもいくつかある。印象的なのは、下院議員に向かって「愛国者法」の条文を解説しているところ、また、下院議員をひとりづつ捕まえて、彼らの子息を軍隊に志願させるよう勧めているところなのだ。こんなことをするからムーアは国会議員たちに嫌われるということだ。

しかし、時の権力者を徹底的に批判したこうした映画が、物理的な弾圧を逃れて流通しているという点で、アメリカという国の懐の深さを感じる。日本では、たとえば安倍政権を材料にして、こんな映画が作られることはないだろう。権力による弾圧以前に、国民社会の側の自主規制が働いてしまうに違いない。



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