壺齋散人の 映画探検
HOMEブログ本館美術批評東京を描く水彩画ブレイク詩集西洋哲学 プロフィール掲示板


アラン・レネ「夜と霧」:アウシュヴィッツの記録



アラン・レネの「夜と霧」は、アウシュヴィッツにおけるナチスの蛮行をテーマにしたドキュメンタリー映画である。作られたのは1955年のことで、その当時のアウシュヴィッツの荒涼たる光景をカラー映像で映し出しながら、そのわずか十数年前に、そこを舞台にして行われていたナチスのおぞましい犯罪、すなわちユダヤ人をはじめとした膨大な数の人々に対するホロコーストを、記録映像をもとにして再現し、重ねあわせた。公開されるや、世界中からすさまじい反響が巻き起こり、映画の内容を含めて論争が繰り返されたという。

その当時の論争や、それに伴うフィーバーがどのようなものであったか、筆者はほとんど知らないが、映画を見ると、それがどのような反響を及ぼしたか、ある程度推測がつきそうな気がする。この映画は、客観的な事実の紹介に主眼を置くあまり、ナチスによる犯罪を深く追求しようとする姿勢が弱い、というような批判があってもおかしくない、そんなふうに思わせるところもある。

それには作品の長さも関わっているだろう。32分という長さでは、ナチスによるホロコーストの意義や歴史的経緯について体系的にもれなく表現するのはむつかしいだろうし、しかも現在のアウシュヴィッツとホロコーストが行われていた当時のアウシュヴィッツを重ね合わせるようにして映し出しているので、焦点がややぼやけがちになるという欠点も目に付く。

ともあれ、映像は現在のアウシュヴィッツの様子を実況撮影で追いながら、それに昔の記録映像を重ね合わせて、アウシュヴィッツの建設から、そこでのユダヤ人虐殺、そして連合軍による解放にいたるプロセスを、時間軸に沿って展開してみせる。中心となるのが、ユダヤ人が虐殺されるところであるのは、この作品の趣旨からして当然のことであろう。

その虐殺の場面があまりにも生々しいので、それを見ている人は反吐が出そうになるほどの衝撃を覚えるだろう。どんな人間ならこんな蛮行が出来るのか、そんな問いが無意味に思えるほど、ユダヤ人たちはドイツ人たちの手によって、鶏を捻り殺すように、簡単に殺されていくのだ。

映画の中でもっとも強烈なのは、ナチスの幹部ヒムラーがアウシュヴィッツを訪れた際に出した命令である。ヒムラーはユダヤ人たちを生産的に処分せよと言うのだが、人間を生産的に処分するとはどういうことか。観客は一瞬戸惑うに違いない。人間を処分するとは殺すことを意味するから、それを生産的に行うと言うのは、効率的に殺すという意味なのか。そんなふうに思ってしまうのだが、やがてこの言葉の意味が明らかにされる。生産的にということは、効率的にという以上に、ユダヤ人の肉体を材料に金儲けをするという意味なのだ。つまり、ユダヤ人の毛髪から毛布を作り、ユダヤ人の骨から肥料を作り、ユダヤ人の死体の脂肪分から石鹸を作り、以て金に換えようというのだ。アウシュヴィッツの敷地内には、ジーメンスをはじめとしたドイツ企業が工場を立地させ、そこで労働能力のあるユダヤ人をこき使っていたが、これもユダヤ人を生産的に処分するということの一環だった。

こうしたシニシズムが、この映画にはあふれている。ナチスの非人間性がシニシズムをもたらしているのか、シニシズムがナチスを非人間的にさせているのか、この映画を見ただけではわからない。そんなこともあってこの映画を厳しく批判する人もあったろうと思われる。

シニシズムという点では、レネが批判の目を向けるのはナチスだけではない。解放軍のやり方にも批判の目を向ける。アウシュヴィッツにやって来た解放軍といえばソ連軍だと思われるが、彼らはアウシュヴィッツの敷地内に存在していた膨大な数のユダヤ人の死体を、いともぞんざいに片付けにとりかかる。そのやり方が、人間の遺体にたいするやり方ではなく、ごみを片付けるようなやり方なのだ。ユダヤ人の膨大に折り重なった遺体の山は、ブルドーザーによってつぶされて穴の中に埋められていく。このシーンは、この映画の中でもっとも醜悪な見ものと言ってよい。

最後に、連合軍によってホロコーストの責任を追及されたナチスの連中が口を揃えて責任逃れをするシーンが出てくる。彼らは言う、自分たちは命令に従っただけだ、自分たちに責任はないと。

なお、映画の題名「夜と霧」は、反ナチス分子の拘禁について定めた1941年のヒトラーの命令から来ている。この映画の中でNNという焼印を押された人が出てくるが、これは、この命令の適用で拘禁された人をあらわす。(NNはNacht und Nebel <夜と霧>の頭文字)

「夜と霧」という題名は、フランクルの収用所体験を綴った作品の邦題にも用いられたが、それはこの映画の影響によるものと思われる。



HOMEドキュメンタリー映画









作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2013-2015
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである