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沖縄 うりずんの雨:沖縄現代史のドキュメンタリー



2005年公開のドキュメンタリー映画「沖縄 うりずんの雨」のテーマは沖縄現代史。沖縄戦から戦後の軍事占領を経て、返還後の米軍基地の存在など、沖縄が抱えてきた苦悩を微視的に、つまり体験者の視点から見ている。監督はアメリカ人のジャン・ユンカーマンなので、多少のバイアスは感じられるが、おおむね問題の本質に迫っているのではないか。それはかれが、沖縄における米軍基地の存在を、日本の主権への侵害だと説明していることからもわかる。だが、米兵による沖縄人への虐待については、あまり多くを語りたがらない。

四部構成だ。第一部は沖縄戦。日本兵の死体の山や、現地の人々の恐怖の表情が、当時のフィルムを活用しながら映し出される。これらのフィルムは米軍が撮影したものだろう。一方で、生き残った元日本兵や、沖縄戦に巻き込まれた現地の人々、及び元米兵の証言が紹介される。元日本兵は、当時の軍人は天皇のために死ぬことは当然だと教育されており、無意味な自爆攻撃を疑問なく行ったと言い、沖縄の民間人は、戦争への協力を強いられて死んで行った者が多かったと言う。元米兵は、沖縄での日本側の抵抗が予想以上に強かったと言って、自分が生還できたのは運がよかったためだと判断した。沖縄戦では24万人が死んだが、その内訳は、民間人15万人、日本軍7.7万人、米軍1.4万人である。米軍が意外と多い損害を出している。

第二部は占領。米軍によって非人間的な扱いを受けた沖縄の人々が、米軍支配からの脱却をめざして立ち上がる経緯が紹介される。始めは祖国復帰運動という形をとったが、米軍基地がそのまま温存されることがわかると、反戦復帰という運動になっていった。反米軍運動は1970年のいわゆる「コザ暴動」で頂点に達する。これは日本人を轢き殺した米兵が無罪になったことに憤激した人々が自然発生的に立ち上がったもので、80台の米軍車両に火をつけたというものだ。

第三部は凌辱。米軍支配下の沖縄で日常的に発生した婦女強姦事件が紹介される。米兵はいとも簡単に沖縄の婦人を強姦する。それが自分たちにとって当たり前のことだと受け止めているようだ。それに対して沖縄の人々は強い怒りを覚える。その怒りは、三人の米兵による12歳の少女の強姦事件で頂点に達した。沖縄の人々の怒りに驚いたアメリカ政府が、犯人たちを裁判にかけたほどだ。それまでは、米兵による現地人の強姦は不問に付されていたのだ。少女の時に強姦されかかった婦人の証言も紹介される。それを聞くと、沖縄では米兵による婦女強姦が日常的だったということが思い知られる。

第四部は「明日へ」と銘打って、沖縄の未来への問いかけがなされる。その中で、沖縄における米軍の存在は、アメリカによる日本の主権侵害だというメッセージが流される。しかし日本政府がそれを進んで受け入れている。だから米軍の占領はなかなか終わらないだろうというようなメッセージも伝わってくる。そういう状況にあっても、沖縄の人々は米軍支配の不当性を非難してやまない。米軍は、まだ子どもの域を脱していない若い兵士まで、沖縄の人をサルかなにかのように取り扱っている。それは支配者による被支配者への傲慢からくるものだといって、当のアメリカ人でさえ疑問を投げかけているほどだ。

こんな具合に、沖縄の人々の苦難を通じて、国際政治の不条理さを考えさせるような作り方になっている。なおタイトルにある「うりずんの雨」とは、春に降る雨をさすらしい。沖縄の春の雨は、憂鬱さを感じさせるものと受け取られているようだ。映画は、そのうりずんの雨を歌った短歌を紹介している。いわく、「うりずんの雨は血の雨涙雨磯の魂呼び起こす雨」。沖縄の人々の怨念が込められた歌だ。




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