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深田晃司「淵に立つ」:川の淵の悲劇



深田晃司の2016年の映画「淵に立つ」は、なんともいいようのない不思議な映画である。一応、サスペンス仕立てになっていて、繰り返される暴力の意味を考えさせるような意図が感じられるのだが、それにしては、しまりというか、一定の結末感がない。暴力はなぜふるわれたか、その理由が明らかにならないまま、映画は中途半端なエンディングを迎えるのだ。

刑務所を出所してきた男(浅野政信)が、町工場を経営している男(古舘寛治)の世話になる。住み込み社員として、経営者の家族と同居しながら、家付属の工場で仕事を手伝うのだ。そんな男を経営者の妻(筒井真理子)は当初いぶかっていたが、娘が男になついたこともあり、心を許すようになる。そんな妻を男が誘惑し、妻もそれに応えるかのようなそぶりを見せるが、いざとなると拒絶する。それが男を怒らせたのか、男は経営者の娘を襲い、重傷を負わせて半身不随の障害者にしてしまう。なぜそんなことをしたのか、動機はわからないままである。

それから八年後。経営者は男の行方を追い続けているが手がかりがつかめないでいる。妻は、もう八年もたったんだからやめたらどうかというのだが、夫のほうは、まだ八年しかたっていないという。そんな折に一人の青年が、工場で働くようになる。やがてその青年が、かつての男の息子だということがわかる。その息子の話や、前後の事情などから、男はむかし殺人を犯したことがあり、その事件に共犯者がいたことがわかる。その共犯者とは、経営者だったのだ。経営者は、男が一人で罪をかぶったことに引け目を感じていて、男の世話をしたり、娘が傷つけられても、それは自分に原因があると受け止めている。

そうこうしているうちに、事情を知った母親が絶望して、娘とともに橋の上から川に飛び込み、おぼれ死んでしまう。経営者はその死体を抱えながら、自分の運命をはかなむ、といったような内容である。

浅野政信演じる男は、映画の前半に出てくるだけで、いきなりいなくなってしまうので、かれの生き方や知人の娘を襲った真の動機はわからずじまいである。全編を通じて主役となるのは、筒井演じる妻であるが、彼女は浅野から誘惑されると簡単に応じたりして尻の軽さを感じさせるのだが、肝心の場面になると怖くなって腰を引いてしまう。浅野のほうもなぜ友人の妻を誘惑したのか。単に女日照りを潤そうとしたのか、それとも他に含むことがあったのか、それもはっきりしない。

というわけで、すっきりしないことの多い映画である。舞台となった川の淵が印象的だ。その川の淵では、かつては男を含めて家族がピクニックをしたのだし、また、母親が娘を道連れにして飛び込んだのである。だからこの映画は、川の淵の悲劇といってよいかもしれない。




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